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笑いは病気を治すー「笑いと治癒力」ノーマン・カズンズ [元気でハッピーになる秘訣]

「笑いと治癒力」ノーマン・カズンズ
121116

心の持ち方で幸せになる方法を研究しています。
日常生活であまり笑いころげることはないのですが、できるだけ、月に1回は新宿末広亭で落語を聞いて笑うことにしています。大笑いすると何かすっきり爽やかになって、元気になるのは確かです。
入れ替わり落語家が馬鹿な話をするわけですから、非日常の体験です。お客さんも怒っている人はいません。
寄席はその意味で平和な空間です。
哲学者カントもこんなことを言っています。
心の持ち方で病気も治るということでしょうか。

カントは『純粋理性批判』で笑いについて次のように書いています。「大声での笑いは、もっとも重要な肉体の過程を促進することによって、健康観、すなわち腸と横隔膜とを動かす情感、つまりわれわれの感じる満足の内容を成す健康観を生み出し、われわれはそれによって、精神を通じて肉体に到達し、精神を肉体の医師として使用することができる」


ノーマン・カズンズの不治の病からの生還事例
ノーマン・カズンズは、不治の病と言われた膠原病から、ビタミンCと「笑い」を武器に、五百分の一という奇跡的な回復をした人です。有名な書評誌『サタデー・レビュー』の編集長であり、核兵器廃止運動、環境汚染反対運動、世界連邦運動の指導的活動家でもあります。1956年に広島の「原爆乙女」25人をアメリカに招き、整形外科手術をうけさせたことで日本人に知られるようになりました。
この『笑いと治癒力』は、初めには『死の淵からの生還』と題して出版された、彼の膠原病克服の記録であり、人間の自己治癒力に対する鋭い考察の書でもあります。ビタミンCの治療効果とその根拠が明確に述べられています。
ビタミンCは、免疫作用と自己治癒力を働かせるために必須の構成要素であるという事実。しかし、人類とある種のほ乳類だけが、体内でビタミンCを製造できず、貯蔵もできない。彼はビタミンCを直接静脈に送り込むことを計画します。しかもその量は25グラムという大量投与です。主治医のヒッツィグ博士は驚きながらも同意しますが、血沈量の劇的な減少という形で、効果が顕著に表れます。これらが闘病過程が説得力を持って書かれています。
同時に腹を抱えて笑えるようなテレビ番組を看護婦に映写してもらい、看護婦が集めてきたユーモアの本を読むことを続けます。「笑い」は膠原病特有の痛みを和らげることを発見します。カントは『純粋理性批判』で笑いについて次のように書いています。「大声での笑いは、もっとも重要な肉体の過程を促進することによって、健康観、すなわち腸と横隔膜とを動かす情感、つまりわれわれの感じる満足の内容を成す健康観を生み出し、われわれはそれによって、精神を通じて肉体に到達し、精神を肉体の医師として使用することができる」。
「笑い」が身体の治癒力に働きかけて癌を初めとした病気の回復に有効であるということを多くの人が述べています。書籍を検索しても、『笑いの医力』『笑いの免疫学』『笑いの健康学』『笑顔がクスリ』など、たくさんあります。
「薬の歴史はプラシーボの歴史である」ジョージ・ワシントンが瀉血のせいで死亡したように、当時は病気になれば体から血を抜くことが、もっとも効果的だと専門的にも信じられていたように、そして一定の効果があったように、医者や医学界が間違った知識に基づいて治療に当たっていたにも関わらず、患者は回復していたのです。医学の発達していない時代にさえ、祈祷師やまじないだけで多くの病気が治っていたのは、プラシーボ効果によるものだと考えられます。
生への意欲と創造力は、脳内インパルスを発生して下垂体を刺激し、松果体などの内分泌系へ影響することが科学的にも明らかになっています。一粒の「丸薬」がプラシーボ効果を引き起こすことができるのなら、「丸薬」という「使者」がいなくてもプラシーボ効果を起こすことが可能になるのではないかと彼は言います。
生への意欲と創造力を旺盛に持っていた二人の人物、パブロ・カザルスとアルバート・シュバイツァーを挙げます。腫れ上がって曲がったカザルスの指が、ブラームスの「弦楽四重奏曲変ロ長調」を奏でだしたとたんに、指がすっと伸び、背筋がまっすぐになって、驚異的な動きを始めるのです。
この本で彼が言いたかったことは、『患者の責任』ということです。病気に対して人体は「治る能力=自己治癒力」を持っている。それを信じて正への意欲を持ち続けなければならないということ。「ビタミンCと笑い」は、一つの選択肢であり、彼もビタミンCが全ての病気を治すなどとは言っていません。笑っていれば医者の治療などは必要ないとも言っていません。しかし、「笑い」すなわち精神が肉体に影響を及ぼしうることがあるということは、今日では医学界でも認められるようになってきました。彼が治ったのはプラシーボ効果なのかもしれません。しかし、プラシーボ効果で治って、どうしていけないのでしょうかと問いかけます。人類は長い間、心のありようが病気を治すことができるということを信じてきたし、実際に治療効果があったのです。むしろ医学が「治してきた」と信じている大部分はプラシーボ効果なのかもしれません。世界で大量に飲まれているアスピリンでさえ、その効用の原因は分かっていないのですから。
カズンズは膠原病から奇跡的に回復し、また編集長の仕事に戻るのですが、今度は心臓発作を起こして入院します。手術を拒否して身体の再生力を信じて再び勝利します。『続 笑いと治癒力』にはその闘いが紹介されています。
カズンズの大きな過ち
二度の重篤な病気から回復したカズンズですが、彼は大きな過ちを犯しているように、私には思われます。彼は最初の心臓発作から10年後の1990年に、重症の心臓発作で死亡します。76歳でした。最初の心臓発作を起こしたとき、彼はその原因として「分刻みで、忙しく飛行機で全国を飛び歩いていた。ポーターの利用できない状態で重い荷物、長い搭乗手続き、これらが心臓発作の原因だろう」と分析していました。膠原病から回復した後もそのような生活を続け、心臓発作を自己治癒力で克服した後も、病気になる前と同じような生活を続けたのです。「患者の責任」は、第一に病気になった原因を遠ざけることです。病気は自分自身が作ったのですから、回復した後にも同じ生活を続けるということをすべきではなかったのです。心臓発作で死なないためには生活を180度転換すべきでした。これがカズンズが犯した過ちでしょう。
しかし、カズンズの名誉のために書いておきますが、彼は、「今や各人の健康(次の世代の健康も含めて)に対して、病気の克服が決定要因ではなく、むしろ社会が健康であるのかどうか、諸国家の病気が治癒するのかしないのかの方が大きな要因ではないか」と記しています。その言葉通りに平和運動、核兵器廃止運動に積極的に関わっていきます。1987年には広島での谷本清平和賞を受賞するために婦人とともに来日しています。彼にとって、忙しさが命取りになることは分かっていたのでしょう。しかし、「生きのびた者の責任」として「諸国家の病気の治癒」に関心を持たざるをえなかった。
癌になったのだから、これまでの生活態度は改めなければなりません。どうでも良いような会議や付き合い、義理で参加する結婚式や葬儀、そうしたものからは遠ざかりましょう。その時間を自分自身の治癒と幸福のために使いましょう。しかし、ではただ生きているだけで人間は満足できるのだろうか。社会との関わりを一切断つことが、幾ばくかの命を長らえることができたとしても、それが自分にとって満たされた人生だと言えるのだろうか。これはもう個人の世界観、価値判断の問題でしょう。
ただ自分自身の満足できる時間のみに生きる。これもまた正しい人生。たとえ命を縮めることになろうとも、家族のために、会社のために、あるいは社会的に有意義だといわれるような生き方をしたい。これもまた正しい生き方です。
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もりけん

うほほーい
by もりけん (2014-06-11 10:34) 

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