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「降りてゆく生き方」映画をみて [豊かさとは、幸福とはなにか]

「降りてゆく生き方」映画を見て
130106

昨日八王子で開かれた自主上映の話題の映画「降りゆく生き方」を見た。
数回見てもいつも感動して涙が止まらなかったとかのコメントが主催者から初めにあったが。
正直見終わってまったく感動はなく、臭くて、やらせの田舎芝居のような内容で、映画としてのレベルは最近見たうちでは最低であった。決してボランティアで出演されている人たちを否定するものではありませんが、もう少し中身のある内容で有ってほしかった。
しかし、驚くのは、2009年公開されてからロングランが続いていること、八王子の会場も満員で若い人や身体障害者らしき人が多かった印象でした。社会運動的な動きになっているのか、何なのか疑問がおきた。
ネットでコメントを拾ってみると以下のようなコメントもあったので引用しておく。
このコメントは理解できるし、映画が社会運動のようになってきているのは、特に企業や社会での激しい競争に疲れ果てた人や、病気や社会の底辺にいる人たちの気持ちを代弁しているからかもしれない。
降りる考えも大切だが、激しい競争に勝つ抜くことも全面否定では困る、バランスの取れた生き方が必要とされよう。


 先日 武田鉄矢さんが主演している「降りてゆく生き方」という映画を見ました。この映画は普通の街の映画館で上映されず、又 DVDにもならないものだということでした。
 そのとおり自主上映という形で倉敷法人会の主催でしたが、会員がチケットを一枚一枚売りさばき、映画会場も真備町の公的な施設で、まさに手づくりの上映会でした。

 内容は武田鉄矢ふんするモーレツサラリーマンが、自然豊かな農村を開発し 外資に売ろうと企て農民の中に入ってゆくのですが、ゆけばゆくほど農村の豊かさ農民の温かさにふれ、最期は自ら会社を辞め農村や農民を守る側につくというものです。

 戦前の日本と戦後の日本、大きく変りました。大家族制から核家族へ。生産共同体から消費共同体へ。もったいないから大量消費の浪費社会へ。家族は家族で看るという自助社会から、何でも国に頼り、何でも国をあてにする社会へ。

 大きな政府、大きな財政、大きな経済、大きな投資、大きな消費、大きな財布、大きな家、大きな車・・・ すべて大きさを求めてゆくようになりました。その結果 物質的には豊かで物があふれる日本になりました。まさに右肩上りが当り前、拡大再生産社会、バブル経済と昇りゆく時代となったのでした。しかしバブルが崩壊し、この右肩上り神話が疑問視され、それからデフレ社会が20年。そして決定的なリーマンショックにより、今の繁栄今の豊かさは砂上の楼閣であり、なんら裏付けのない虚構幻想であったことがはっきりしてきました。

 金融工学という訳のわからない計算上の豊かさ 繁栄であり、一たび夢から覚めてみると うすら寒い時代が到来していたのでした。
 この寒さは人としての本質的な豊かさを放棄し捨て去った 故の寒さです。人としての思いやり、温かさを捨て非情に物や余りを追い求めた故の寒さです。
 結局人はモノやお金では温かくならないことが解ったのです。いや、モノやお金は人を温めるものではないことが分かってきました。

 豊かになった自らの周りをながめ、自らが裸で寒風にさらされていることを、今 我々は一人一人 氣付くべきです。

 昇り来た山頂で凍え死ぬのか、それとも山を下り 山を降りて、もう一度 自らを温めるのか(富士山のふもとは真夏でも、富士山の頂上は0℃以下です)。
 降りてゆく人生、降りてゆく生き方。今こそ必要な生き方です。(これ以上 昇る山もないし、頂上に居れば凍えてしまうわけですから。)
 
 日本人がお腹いっぱい食べる時代はここ50年です。戦前までずっとほとんどの日本人は腹ペコの生活でした。太古から縄文 弥生~平安~江戸~ずっと一日二食、一汁一菜。お米ではなくアワやヒエなどを食べ、土日もなく朝から晩まで働いていたのです。栄養がどうの、働きすぎがどうの、それ以前のところで精一杯生きていたのです。

 昭和、平成のここ50年です。テレビやコンビニなどで、真夜中でも何不自由なく昼間と同じ生活ができるのは。何千年も何万年も日本人は太陽が出れば起きて、太陽が沈めば家族だんらんの時を持ち床に就く生活を行なっていたのです。

 もう一度昇ること、拡大すること、貯めること、将来に不安を持つことをやめ、降りてゆくこと、縮小すること、捨てること活かし生かすこと、今 ここをしっかり感謝して生き抜いてゆく生活になってゆきませんか。  足るを知り、感謝に満ち満ちた生活。物に固執せず 人に固執する生活。家族、家を大切に他人を思いやる生活。足りないところ、足りない物を補い合う生活。余っている物を人に分け与え合う生活。

 こんな「降りてゆく生き方」をする時代なのかもしれません。
 山登りは山へ登るだけでは山登りになりません。山を下って降りてこその山登りです。人生が山を登るようなものならば、当然 降りることも人生そのものです。

 私もこの「降りてゆく生き方」を上映したく申し込んでいます。来年 創業記念日  6月1日 上映し、皆さんと見る事を楽しみにしています。


 代表社員 前原 幸夫
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