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東日本大地震・被災地(石巻・仙台)の状況(日本のもつ底力と潜在力で強い復活の息吹を感じる) [地震防災について]

東日本大地震・被災地(石巻・仙台)の状況(日本のもつ底力と潜在力で強い復活の息吹を感じる)20110425

4月21日より22日にかけて東京からバスで仙台経由で石巻地区の状況を調査してきました。
私は現役時代、緊急地震速報の家庭、産業用の装置の開発に関係していたからだ。

東京から高速バスで5時間あまりで仙台に到着した。
仙台は見かけたところ災害地とは思えない活気にあふれていた。建物も倒壊したビルなどは見えない。
壁が少しはがれているくらいに見えた。
午後より塩釜港を目指す。
仙石線で東塩釜まで行くと、港にはヨットが多数無傷のまま見えた。港は大きなダメージはなかったように見える。

港近くの住宅の一部が床や壁が破壊されていた。
仙石線は東塩釜から石巻までは不通でバスが代行していた。

途中松島を経由して石巻まで3時間以上の時間がかかった。
松島は島が壊滅状態か心配していたが、一部がけ崩れがあるが、昔観光で見た松島はほぼ残っていた。
観光客はゼロ。

夕方石巻駅に着く、駅舎は10cmくらい津波が来たようだが殆ど見た目は被害はないようであった。
駅前の商店街、飲み屋街はゴーストタウンで見せは殆ど閉店し、古い建物が壊れて危険の張り紙がしてあった。
以前新潟地震の現場を見たことがあるが、比較すると、今回の大地震はマグニチュード9.0とか巨大なものにかかわらず、建物の倒壊などは非常に少ない。
海溝型というプレートによる地震で震源地が海の中のためだろうか。新潟も阪神も倒壊はすごかったがいづれも直下型であった。被害は津波と原発がメインといえる。

ホテルは仙台は全く取れずに暗くなってから、作並温泉(岩松旅館)へ向かう。
仙台からバスのつもりが、石巻から仙台もどりが通常1時間あまりのものが3時間かかり、仙山線で愛子まで(その先は不通)後タクシーで30分かかった。
ここは源頼朝が立ち寄った有名な温泉らしい。
近くに、松尾芭蕉が「しずけさや岩にしみ入る蝉の声」で有名な古寺があるらしい。
川原が見える岩風呂が有名で確かに風光明媚でよい。夕方から混浴だが野郎しかいなかった。
建物は古いが、広い部屋で素泊まりで6000円は納得。朝食付きは11000円。
ボランティアのグループが多く宿泊していた。

2日目

気仙沼か女川へ行きたかったが、帰路のバスの時間との関係で決めることにする。
仙台から気仙沼は4時間くらいかかるようだ。断念する。
7時のバスで作並温泉を出発ー仙台経由で石巻まで4時間かかった。
途中桜が満開のところをたびたび見る。菅原道真の歌ではないが、「東風吹かば思い起こせよ梅の花、主無きとて春なわすれそ」(?)春が来れば、自然は災害があっても、桜の花を咲かせる。
帰りのバスは5時半の予約で2時くらいには石巻を出発しねければならない。女川まで石巻から片道2時間くらいかかるらしい。それで
石巻に絞ることとする。歩いて駅から海岸に向かう。

多くのボランティアが市民と一緒に掃除をしたり、荷物を運んだりしている。
この辺は住宅は床下浸水が中心か畳が多く瓦礫のなかに捨ててあった。町は瓦礫は整然と置かれているものの歩道はやられているが、きれいに見えた。
もくもくと整然と片付ける市民を見て、日本人の底力を感じ、まもなく復興する感じがした。
港の近くは壮絶な風景でした。

大きな船が、ビルの3fへ飛び込んでいる建物を目の前にしました。
数10トンもある船が波で飛ばされてくるすごさを実感しました。
自動車は、ひっくり返って積み木のようになっていました。

伊藤忠の小林会長が新聞(110418nk)に書いていましたが、欧州の大不況でもスペインやギリシャは予想以上に元気だそうで、歴史に裏づけされた国や文化への信頼が元気を生んでいると。

日本も歴史的には幾多の苦難を乗り越えてきた。現場を見て必ず日本も復活すると確信した。日本人の血の中に、歴史と文化が流れて入るように思えた。

人間は想像を超える苦難に耐えることで、絶望に対峙すくことで
人の情を知り、より深みのある人生を過ごせるのでしょうか。お釈迦様の教えはそこ
にあるのでしょうか。
多くの方が身内をなくしたりして、不幸な環境にあるのでしょうが、
みんな穏やかな顔をされて見えました。絶望でも、人は明日に望みを持ちいき
ていくのでしょうか。

以前無縁社会とかはやりましたが、今、被災地では見も知らぬボランティアや自衛隊
員、企業の社員が市民を助けています。どこが無縁社会なんでしょうか。若い男女も
どろまみれになって泥掃除をやっています。無縁社会は経済第一主義で平和ボケ、贅
沢ボケのけっかでしょう。何も無くなって見ると初めて気がつくようです。
皆、自然に助けあうようになるようです。人間の心の中に菩薩がいるのでしょうか。
みんな被災地をみて、東京にもこんなことがおきえるのだと覚悟をすべきと思いま
す。

一人でも多くの人が、被災現場を見て、大津波の歴史の証人になるべきと思います。
そして、東北は例外ではなく、私たちが住んでいる東京でも他の街でも同じような災害が起きうる事実をしっかり心に刻むことが重要ではないでしょうか。
今後の災害に生かさなければ2万人以上の犠牲者が浮かばれません。







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