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幸せな子―アウシュビッツを一人で生き抜いた少年  を読んで(普通に生きれることの幸せを思う)  [豊かさとは、幸福とはなにか]

幸せな子―アウシュビッツを一人で生き抜いた少年  を読んで(普通に生きれることの幸せを思う) 
[著]トーマス・バーゲンソールー120404

もう10年くらい前に学会の関係でポーランドに行く機会があった。ワルシャワから数時間汽車でアウシュビッツとビルケナウへいった。そこで数百万のユダヤ人がガスで殺された場所だ。
そこでは髪の毛で織った繊維とか、人体から作った石鹸だとか展示されていた。
ベッドは藁(わら)むき出しの粗末なもので夏の暑さや冬の寒さの厳しさは容易に想像できた。地下のガス室には一人で入ったが、鳥肌が立つようにひんやりと薄気味が悪かった。人間はここまでやるのかと思われるくらいの残酷さを感じた。
紹介する本はこの環境を運で生き延びた子供の物語である。「幸せな子」とのタイトルであるが決して幸せではなっかたと思う。「ラッキーな子」がふさわしいだろう。極限の不幸体験を知ることで「ただ普通に生きれる幸せを自覚することができる意味では良い本であると思う。

■信念とけなげさに幸運が目を止めた
 1944年のアウシュビッツ収容所は食べる物さえろくになく、人々はやせ衰え、働けなくなればガス室に送られた。子どもは役に立たないからと、多くが殺された。
 その地獄を、10歳で親と引き離されたトミー少年が奇跡的に生きのびる。一体どうやって生き抜いたのか――。
 著者のトーマス・バーゲンソールは国際司法裁判所の判事。チェコ生まれの米国人だ。ホロコーストが「歴史化」していく中、その一つ一つの生や死に人間の顔があるのだということを訴えようと、体験を本にした。
 生きのびたのは、一言でいえば幸運だったからだ、と著者はいう。
 収容所でガス室送りの選別があったとき、親しくなったポーランド人の医師が、リストからトミーの名前をこっそり外しておいてくれた。
 チェコを移送される貨車で、食べ物がなくて死にそうになったとき、跨線橋(こせんきょう)から地元の人たちがパンを投げてくれ、おかげで持ちこたえた。
 しかしそうした幸運は、トミーが自分から呼び込んでいるように思える。
 親衛隊が子どもを選別しているとき、彼は前に出て「大尉殿、僕は働けます」と訴える。面食らった大尉はトミーを選別から外してしまう。
 またある時は「子どもは前に」という命令を無視して列の後ろに隠れる。大人に押されても前に出ず、そこでも選別をまぬがれる。
 自分は絶対にお父さんやお母さんに会える。彼はそう信じていた。生きることをあきらめた多くの人々の間で、彼の生きようとする信念とけなげさはひときわ光っていたのだろう。だから幸運が彼に目を止めたのだ。
 アウシュビッツからの「死の行進」の途中、選別がある。グラウンドを端から端まで走れ。走れなかったらガス室だ。大人が力つきて倒れる中、トミーは親衛隊と軍用犬の間を必死で走りぬけた。ここであきらめるつもりはなかった、と彼はいうのだ。
 先行きの見えない時代である。そんな時代にいる私たちに、10歳の子が生き方を教えてくれている。

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