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「たった一人の30年戦争」―小野田寛男を読んで120705 [元気でハッピーになる秘訣]

「たった一人の30年戦争」―小野田寛男を読んで120705
もう10年以上前に小野田さんの話を直接聞く機会があった。
30年もフィリピンルバング島のジャングルの中でどうやって野垂れ死にしないで生き抜いたか知りたかった。
1974年に救出された。
日本を考える意味で著書を改めて読んでみた。

フィリピンに派遣される前に、中野学校で特別な訓練を受けたそうだ。
陸軍中野学校二俣分校へ入校した小野田は、いきなり、無駄死にしないで生き残れと言われる。「たとえ国賊の汚名を着ても、どんな生き恥をさらしても生き延びよ。出来る限り生きて任務を遂行するのが中野魂である。」横山静雄中将が言った。「玉砕は一切まかりならぬ。三年でも、五年でも頑張れ。必ず迎えに行く。それまで兵隊が一人でも残っている間は、ヤシの実を齧ってでもその兵隊を使って頑張ってくれ。いいか、重ねて言うが、玉砕は絶対に許さん。わかったな。」
小野田さんの精神の根幹はこの時代に身についたもののようだ。
講演を聞くと
30年は毎日戦闘状態の中で暮らしてきたので、毎日全力で生きることがすべてであったようだ。
生き抜くために毎日島の中を計画的に移動して暮らした。同じ場所に安住したら敵に殺されるか、30年も生きる意欲を失わずにいきられないだろう。
何もないところでも、毎日移動して住まいを変化させて、仮想の敵を意識して、生きる意味を見出していたのではないか。(毎日することがある事が大切)
高齢者などが元気に生きるには、有り余った時間に振り回されて、毎日tvのような受け身の暮らしは元気を生み出すようにはならない。常に、安住を否定し、新しい目標が必要なのだ。

二人の仲間を相次いで戦闘で失う。ここでも、常に前向きに考えるようにした説いていた。
仲間が殺されて、さびしくなり、元気を失うと、良い面を考えたという。
これまで、二人で食べたごちそうが一人で食べられるのはうれしいと考えるように努力したという。マイナスに考えるととても一人でジャングルの中で生きられない。
何度も救援隊が助けに行ったが、米軍の指令で来ていると信じて決して投降しなかった。
結局
鈴木紀夫という冒険家が小野田さんを連れ出した。
冒険家の彼は、小野田さん発見であまりにも有名になり、次の冒険をやらざるを得なくなった。そして次の冒険にヒマラヤの雪男発見を目指して活動中、雪崩で事故死してしまった。彼の人生も狂ってしまったといえる。
はしがきに
日本は戦前「命を惜しむな」と教えられ死を覚悟して生きた。
戦後は日本人は「命を惜しまなければいけない」時代になった。
何かを「命懸けでやること」を否定してしまった。
覚悟しないで生きれる時代はいい時代である。だが死を意識しないことで日本人は生きることをおろそかにしてしまっていないだろうか。
小野田さんのメッセージである。

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