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江戸時代の庶民は幸福だった(貧しくとも、思いやりと助け合いの中で人々は幸福に暮らしていた。) [豊かさとは、幸福とはなにか]

江戸時代の庶民は幸福だった
(貧しくとも、思いやりと助け合いの中で人々は幸福に暮らしていた。)
 (国際派日本人養成講座より)120328


東日本大震災で日本人の規律や行動が世界的に評価された。
私は日本人のDNAの中に日本人的行動規律は仕組まれているように考えている。
伊勢雅臣さんの記述を引用して、江戸庶民の生活規律の中に驚くべきルーツが見られる。
ハリスをはじめ当時日本をおとづれた外国人は口をそろえて驚嘆している。
ぼろを着て、貧しい食事をしていても、彼らは清潔で礼儀正しく振る舞い親切で幸福そうであった。
これから日本は特に経済の低迷で苦しい時代が始まり長く続くであろうが、江戸のライフスタイルと、幸福感をみれば。何が起きても日本人は幸せに生きていけると確信できる。



1.「彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである」

 黒船によって武力でむりやり日本を開国させたアメリカが、初代駐日公使として送り込んだのが、タウンゼント・ハリスだった。ハリスは安政4(1857)年11月、初めての江戸入りをすべく、下田の領事館を立った。東海道を上って神奈川宿を過ぎると、見物人が増えてきた。その日の日記に、彼はこう書いている。

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 彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない。----これが恐らく人民の本当の姿というものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる。

 私は質素と正直の黄金時代を、いずれの国におけるよりも多く日本において見出す。生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる。
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 ハリス江戸入りの当日、品川から宿所である九段阪下の蕃書調所までの間に、本人の推定では18万5千人もの見物人が集まったという。その日もこう書いている。

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 人々はいずれも、さっぱりしたよい身なりをし、栄養も良さそうだった。実際、私は日本に来てから、汚い貧乏人をまだ一度も見ていない。
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2.「だれもかれも心浮き浮きとうれしそうだ」
幕末から明治にかけて、日本を訪れた外国人がほとんど異口同音に語っているのは、日本人がいかにも幸福そうであったという点である。

 明治17(1884)年頃からしばしば来日した米国の女性旅行家イライザ・シッドモアは、鎌倉の浜辺でのこんな光景を描写している。ハリスも下田から江戸に上る道中で、似たような光景を見たのではないか。

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 日の輝く春の朝、大人は男も女も、子供らまで加わって海藻を採集し、砂浜に広げて干す。

・・・漁師のむすめたちが脛(はぎ)を丸出しにして浜辺を歩き回る。藍色の木綿の布きれをあねさんかぶりにし、背中に籠(かご)をしょっている。子供らは泡立つ白波に立ち向かったりして戯れ、幼児は砂の上で楽しそうにころげ回る。

・・・婦人たちは海草の山を選別したり、ぬれねずみになったご亭主に時々、ご馳走を差し入れる。あたたかいお茶とご飯。そしておかずは細かにむしった魚である。こうした光景すべてが陽気で美しい。だれもかれも心浮き浮きとうれしそうだ。
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 熱いお茶とご飯とむしった魚が「ごちそう」というから、決して物質的に豊かではないが、「だれもかれも心浮き浮きとうれしそう」に生活できる社会だったのだ。

3.欧米の貧民たちの暮らしぶりと比べて
 日本を訪れた西洋人たちが、日本人の幸福な生活ぶりに驚いているのは、当時の欧米社会と比較してのことであろう。たとえば、フリードリッヒ・エンゲルスは19世紀中葉のイギリスの貧民街の有様を次のように描写している。

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 貧民にはしめっぽい住宅が、すなわち床から水のはいあがってくる地下室か、天井から雨の漏ってくる屋根裏部屋が与えられる。
・・・貧民には粗悪で、ぼろぼろになった、あるいはなりかけの衣服と、粗悪で混ぜものをした、消化のわるい食料品が与えられる。
・・・貧民は野獣のようにかりたてられ、休息も、安らかな人生の享楽も許されない。
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 工場主は子供をまれには5歳から、しばしば6歳から、かなり頻繁となるのは7歳から、たいていは8歳ないし9歳から、使い始めること、また毎日の労働時間はしばしば14時間ないし16時間(食事のための休み時間を除く)に及んでいること、また工場主は、監督が子供をなぐったり虐待したりするのを許していたどころか、しばしば自分でも実際に手をくだしていたことが語られている。[1,p133]
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 当時、来日した欧米人はみな母国におけるこのような悲惨な下層階級の生活ぶりを知っていたはずだ。それに比べれば、海岸で大人も子供を一緒に海藻集めにいそしんでいる日本の庶民の光景は、いかにも幸せそうに見えたはずである。

4.貧しくとも幸福に暮らしている人々
明治10年代に東京大学のお雇い教授を務めたアメリカの動物学者・エドワード・モースは、日本とアメリカの貧困層を比べて、次のように書いている。

「実際に、日本の貧困層というのは、アメリカの貧困層が有するあの救いようのない野卑な風俗習慣を持たない」。日本にも雨露を凌ぐだけという家々が立ち並んでいるが、しかし「そのような小屋まがいの家に居住している人々はねっから貧乏らしいのだが、活気もあって結構楽しく暮らしているみたいである」。

 欧米では、貧乏人はスラム街に押し込められ、悲惨と絶望の中で生きていくしかないが、日本では貧しくとも幸福に暮らしている人々がいる、というのが、彼らの驚きであった。どうしてそんな事が可能になるのか?

 英国公使ヒュー・フレーザーの妻メアリは明治23(1890)年の鎌倉の海岸で見た光景をこう描写している。

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 美しい眺めです。----青色の綿布をよじって腰にまきつけた褐色の男たちが海中に立ち、銀色の魚がいっぱい踊る網を延ばしている。その後ろに夕日の海が、前には暮れなずむビロードの砂浜があるのです。

 さてこれからが、子供たちの収穫の時です。そして子供ばかりでなく、漁に出る男のいないあわれな後家も、息子をなくした老人たちも、漁師のまわりに集まり、彼らがくれるものを入れる小さな鉢や籠をさし出すのです。そして、食用にふさわしくとも市場に出すほどの良くない魚はすべて、この人たちの手に渡るのです。

・・・物乞いの人にたいしてけっしてひどい言葉が言われないことは、見ていて良いものです。そしてその物乞いたちも、砂浜の灰色の雑草のごとく貧しいとはいえ、絶望や汚穢(おわい)や不幸の様相はないのです。
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「あわれな後家」も「息子をなくした老人たち」も、このように思いやりのある共同体の中でしっかり守られて、その平等な一員として生きて行けた。この思いやりと助け合いこそが、貧しくとも幸せに暮らせた理由であろう。

5.「自分たちが彼の分まで頑張るから」
海辺に住む漁師たちは海の恵みを共有しているから、こういう分かち合いも可能になるのだが、町中に住む人々の暮らしはどうか。

 明治11(1878)年に、東北地方から北海道、その後関西地方を日本人通訳一人を連れて旅したイギリスの女性旅行家イザベラ・バードは、奈良県の三輪で、3人の車夫から自分たちを伊勢の旅に雇って欲しいと頼まれた。

 推薦状も持っていないし、人柄もわからないので断ると、一番年長の男が「私たちもお伊勢参りがしたいのです」と訴えた。この言葉にほだされて、体の弱そうな一人をのぞいて雇おうと言うと、この男は家族が多い上に貧乏だ、自分たちが彼の分まで頑張るからと懇請されて、とうとう3人とも雇うことになった。

「人力車夫が私に対してもおたがいに対しても、親切で礼儀正しいのは、私にとっても不断のよろこびの泉だった」と彼女は書きとどめている。
 町中でも思いやりと助け合いが弱者を護っていたのである。これなら物質的には貧しくとも、欧米のスラムにあるような孤独、絶望という不幸とは無縁で暮らせただろう。

6.「口論しあっている日本人の姿を見かけたことがなかった」
このような社会では、喧嘩や口論もほとんどない。維新前後に2度、日本を訪問した英国人W・G・ディクソンは、こう述べている。

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 私は日本旅行のすべてにおいて、二人の男が本当に腹を立てたり、大声で言い争ったりしたのを見たおぼえがない。また、中国では毎日おめにかかる名物、つまり二人の女が口論したり、たがいにいかがわしい言葉を投げつけあったりしているのも一度も見たことがない。
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 明治7(1874)年から翌年にかけて、東京外国語学校でロシア語を教えたレフ・イリイッチ・メーチニコフもまったく同様の体験を記している。_________
 この国では、どんなに貧しく疲れきった人足でも、礼儀作法のきまりからはずれることがけっしてない。・・・わたしは江戸のもっとも人口の密集した庶民的街区に2年間住んでいたにもかかわらず、口論しあっている日本人の姿をついぞ見かけたことがなかった。

 ましてや喧嘩などこの地ではほとんど見かけぬ現象である。なんと日本語には罵りことばさえないのである。馬鹿と畜生ということばが、日本人が相手に浴びせかける侮辱の極限なのだ。
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 口論や喧嘩は、利害の対立から生ずる。思いやりと助け合いに満ちた共同体では、各自が自己主張を自制するので、利害の対立は少なく、その結果、人々は互いに争うこともほとんどないのであろう。

7.「われわれはみな同じ人間だと信ずる心」
思いやりと助け合いの根底をなすのは、人々の平等感であろう。明治6(1873)年に来日して、東京帝国大学の外国人教師となったバジル・ホール・チェンバレンは「この国のあらゆる社会階級は社会的には比較的平等である」と指摘している。
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 金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。・・・ほんものの平等精神、われわれはみな同じ人間だと心から信ずる心が、社会の隅々まで浸透しているのである。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄冒頭に紹介した初代駐日公使タウンゼント・ハリスは、江戸での将軍家定との謁見については、こう書いている。
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 大君の衣服は絹布でできており、それに少々の金刺繍がほどこしてあった。だがそれは、想像されるような王者らしい豪華さからはまったく遠いものであった。燦然(さんぜん)たる宝石も、精巧な黄金の装飾も、柄にダイヤモンドをちりばめた刀もなかった。私の服装の方が彼のものよりもはるかに高価だったといっても過言ではない。・・・

 殿中のどこにも鍍金(めっき)の装飾を見なかった。木の柱はすべて白木のままであった。火鉢と、私のために特に用意された椅子とテーブルのほかには、どの部屋にも調度の類が見あたらなかった。
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 日本の最高権力者である将軍は、米国の一公使よりも質素な服装をしており、逆に一般民衆には欧米社会のような貧民はいない。将軍から町民まで、「同じ人間だ」という意識が浸透していたのである。

8.幸福な共同体のありようを継承、再生する責務
このような幸福な共同体は、過ぎ去った過去の幻影として、現代の日本では完全に失われてしまったものだろうか? 実は、現代の日本を訪れた外国人も、幕末・明治に日本を訪れた外国人と同様の体験を語っている。

 たとえば中国から来て日本滞在20年、今では帰化して大学で中国語を教えている姚南(ようなん)さんはこう語っている。
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 これは民族性の違いだと思いますが、日本では一歩譲ることによって様々な衝突を避けることができます。例えば自転車同士がぶつかったときなど、中国ならすぐ相手の責任を求めますが、日本ではどちらが悪いという事実関係より、まず、お互いに「すみません」と謝ります。その光景は見ていてとても勉強になります。

 ある日、混んだ電車に乗っていたときのことです。立っていた私は、揺られた拍子に後ろに立っていた女性の尖った靴先を、自分のヒールで踏んでしまったのです。すぐ「ごめんなさい」と謝ると、その人は微笑んで「靴先は空いているから大丈夫ですよ」と言ってくれました。
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 こうした日本人の特性を姚南さんは「民族性」と呼んだ。思いやりと助け合いという「民族性」は、薄れつつも、いまだ現代日本に根強く残っている。

 しかし、こうした社会の徳性は、自然に生じたり、勝手に続くものではない。家庭の中で親が子をしつけ、共同体の中での大人の振る舞いが青少年を無言のうちに教え諭す。そうした一つ一つの行為の所産なのである。

 とすれば、我々の先人が築き上げた幸福な共同体のありようを、しっかり継承し、現代にマッチした形で「大いなる和の国」を再生するのは、我々、現代の日本国民の責務であると言える。



a. JOG(452) 幸福なる共同体を創る知恵http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogdb_h18/jog452.html
 幕末から明治初期に来日した欧米人たちが見た日本人の幸せな生活。

b. JOG(484) 美しい国だった日本
「方々の国で出会った旅行者は、みな感激 した面持ちで日本について語ってくれた」http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogdb_h19/jog484.html

c. JOG(602) 外国人の見た「大いなる和の国」
「私たちは日本にくると、全体が一つの大きな家族のような場所に来たと感じるの」http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogdb_h21/jog602.html

「貧乏暇ありの暮らしのすすめ」 だれでもハッピーになれるぞ! [豊かさとは、幸福とはなにか]

「貧乏暇ありの暮らしのすすめ」 120301
文明に振り回されない、文明の奴隷にならないこと

数十年前海外でビジネスをしていた時に聞いた話です。
南太平洋のサンゴ礁に囲まれた美しい、小さな島の住民はみんな、お金は持っていなかったが、みんな平等で、争いもなく仲良くハッピーに暮らしていた。誰も自分が貧乏と思っていなかった。買うものがないものだから、お金は必要なかったし、だいたい、貧乏という言葉がなかった。英語で「もったいない」という言葉がないのと同じだ。

ある時、米軍が基地を作って、アメリカ人が移住してきた。
テレビや自動車、きれいな着物、おいしい食べ物も一緒に入ってきた。近代文明が同時に入ってきたということだ。

それまでは、島にあるもので充分満足し、豊かな気分で浦島太郎のように、暮らしてた人たちが、パンドラの箱を開けてしまった。

みんながテレビや自動車をほしがり、きれいな着物をほしがるようになった。
ほとんど何も仕事しなくて、海にいる魚を食べるだけ採り、1年中実る庭のバナナを食べて、のんびり暮らせて行けたのに、テレビや自動車を買うために朝から米軍基地で働くようになった。

仕事の内容や、たくさん働く人、能力差などで金持ちと貧乏人が生まれ、報酬の高い仕事を求めて、人々は競って、いろいろ争いごとも起きるようになった。

シリコンバレーの成功者にある人が質問した。
そんなに夜も寝ないで仕事して、使い切れないほどのお金を稼いでどうするのですかと。
「将来、南の島でのんびり、夕景を見ながら暮らしたい」と答えたという。
この成功者は人生の貴重な時間ををお金に換えたといえます。

昔から「貧乏暇なし」といいます。
「金持ち暇なし」とも言われます。

平均寿命も延びてこれからは「貧乏暇あり」の暮らしが日本の理想ではないかと、評論家の誰かが言っていました。
江戸時代みんな自動車もテレビもありませんでした。庶民は宵越しの金は持たずに生活を楽しんでいました。
歌舞伎や浮世絵など世界に誇る文化も生まれました。石油や機械も使わずに持続可能なエコ社会でした。

これらを参考にして、文明の奴隷にならずに南の島の暮らしや江戸時代の暮らしを取り込めば、だれでもパッピーになれる。

これからは金持ちよりも暇もち(時間もち)の方が尊敬される時代だ。
定年後の多くの人はその点では有資格者です。使い切れないほど、有り余る時間を持っています。(10万時間以上)
シリコンバレーの成功者以上に時間については豊かだといえます。
いつまでも高度成長時代の再来を夢見ないで、今で充分豊かであり、満足できる。これ以上のぜいたくを求めずに、幸せな暮らしとは何か、じっくり考える時が来ています。


ソニー創業者・井深大の遺言「いっぱい愛された子供は優しい人になれる。優しい子供は心豊かに成人し、幸せにになれる [豊かさとは、幸福とはなにか]

いっぱい愛された子供は優しい人になれる。優しい子供は心豊かに成人し、幸せにになれる(120221)
ソニーの創業者である井深大氏は晩年,数億円の私財をつぎ込んで、21世紀の豊かさを研究し結論として
「21世紀には豊かであるとは、いかに優しいかを意味する」と断言した。
20世紀にはお金、ぜいたくなものをたくさん持ち、地位名誉のある人が豊かな人と言われていたが。

実証するために、世界中から心理学者などを集めて、どのようにしたら優しい子供ができるかを研究させた。
いくつかの結論が出てきた。
①親が大金持ちとか大貧乏とかは子供がやさしい人間に育つかとはほとんど関係がないこと

②5歳くらいまでにたくさん愛された子供は優しい子供になる。
どんな大金持ちの子供でも、母親がいつも泣いている後姿を見ながら育ったり、お前なんか生まなければよかったなどと言われて育ったら、冷たい心の人になってしまう。
逆にどんなに貧乏でも、おじいちゃんおばあちゃん含めて皆からお前は良くこの家に生まれてくれた、お前が生まれてくるのをみんな楽しみにまっていたのだ。と愛されながら育ったこどもは本当にやさしい子供に育つ。

井深氏は研究の途中で以上の二つを結論つけた。

井深氏は妊産婦を集めてよく話をした。「皆さんはよいこども、優しい子供を育てるという、もっとも尊い仕事をしているのです。誇りを持ってがんばってください」と励ましていた。残念ながら志の中途で亡くなれた。

みんなぜいたくの限りを追い求め、疲れ果てるまで競争して、くたくたになってきている。大きな社会変化の中で本当の豊かさ、幸せが何か考えるべき時が来ている。井深氏の遺言を生かし、社会全体でやさしい子供を育てようでありませんか。

フィンランドと日本、豊かさ比べ [豊かさとは、幸福とはなにか]

フィンランドと日本、豊かさ比べ
(靴家幸子著「本当のフィンランド」より(20110830blog)

5年間フィンランドに住んだ経験のある、靴家さんの著作から、豊かさとは何か考えてみる。
米国型資本主義で何でもありの物的にはないものがない暮らしのできる日本と高い税金と高福祉社会の国では生活観、豊かさも大きく違う。
ヘルシンキでもデパートでも物は少なくて、地味なものばかりで、ショッピングは全く楽しくないそうだ。
スーパーの買い物も、野菜や果物は自分で袋につめて量り売りが多い。慣れないとめんどうで仕方がないようだ。町も薄暗く夕方も早くしまってしまう。

商品パッケージも直ぐ壊れるものが多くて、安心できない。(日本では過剰包装といわれるくらいしっかりしているのが常識なのに)
暗くて寒くて長い冬も閉口するようだ。
半年くらい冬の暮らし、半年白夜も含めて、夏の暮らし、
私もスエーデンの夏を体験したことがあるが、みんな裸になって、お弁当持って一日日向ぼっこしながらおしゃべりして幸せそうに見えました。

ゲームセンタなどはないので、子供は健康に育ちやすい。
肉は霜降りは最低の品質といわれ健康に悪いとあまり食べないようだ。

休暇が4週間以上の夏休みが普通なのは豊かさの象徴だ。
子供たちは宿題のない夏休みを過ごす。自然の中で思い切り遊ばせる。良い人間性が育つ。

衣食にこだわらないお国柄でも家にはすごくこだわる。
森の中の湖水の近くに別荘を持つのが当たり前で、テレビも携帯も持たずに、すべて、自給自足に近い生活を有り余る時間を使って楽しむのが彼らの贅沢だ。

無駄なものを買わずに、余った時間でじっくり暮らすのが、北欧の豊かさ。
日本では、ピアノや自動車や塾に行かせるために、母親もバイトで忙しく働き、子供と話す時間もないのが現実。

無駄なもの贅沢なものに振り回される生活から、質素であるが、ゆとりのあるゆっくりした暮らしが日本でも求められてきているのではないでしょうか。

「地球環境を壊しながら成長して豊かな社会ができるか」(ブータンGNH国民総幸福量研究所所長に聞く) [豊かさとは、幸福とはなにか]

「地球環境を壊しながら成長して豊かな社会ができるか」(ブータンGNH国民総幸福量研究所所長に聞く)
20101018NK

GNH国民総幸福量を使って国づくりをしているブータンという国がある。
ほとんどすべての国が経済成長優先の国づくりをしている中で異色である。

国民の幸福度をどのようにして計るのか。
人口67万人のブータンで8000人のデータを集める。
70項目一人5時間かける。これを数値化して年度、地域、年齢差などで分析する。

世界で主流のGDPが個人消費や設備投資などでやるのと同じだ。
①心理的幸福
②健康
③教育
④文化
⑤環境
⑥コミュニティー
⑦良い統治(政治)
⑧生活水準
⑨自分の時間の使い方
の9分野である。

GDPで計測できないのは
たとえば心理的幸福を計る場合、正負の感情を抱いた頻度を聞いている・
正の感情は①寛容②満足③慈愛
負の感情は④怒り⑤不満⑥嫉妬
地域別に見るとどの地域のどんな立場の人が怒っているか、慈愛に満ちているかわかる。

経済成長が高い国や所得や消費の多い国の人々が本当に幸せでしょうか。 先進国で鬱に悩む人が多いのはどうしてでしょうか。

地球環境を壊しながら成長して豊かな社会ができるのでしょうか。

他者とのつながり、自由な時間、自然とのふれあい、は人間が安心して豊かな気持ちで生きる上で欠かせないものだ。

金融危機後欧米でGNHが地方自治体で普及し始めている。
国民の幸福度について世界の政治家も考え始めている。
GNPの巨大な幻想にみんなきずくべき時代になってきている。


国民総幸福量(GNH)は経済成長(GNP)より重要、ブータンの開発政策について考える [豊かさとは、幸福とはなにか]

国民総幸福量(GNH)は経済成長(GNP)より重要、ブータンの開発政策について考える

元世界銀行副総裁(西水美恵子)氏の幸福度を指数化する考えには反対とのコメント(100621NK)の記事の記載があった。ブータンの前国王電龍王4世が「国民総幸福量(GNH)は経済成長(GNP)より重要」と言ったのが一人歩きしたようだが国王は「国民の幸せを中心に国を治めるのは当たり前で経済成長は幸福を実現する為の手段である」ということでGNHは政治哲学であって目的ではない、日本の政治家は何を考えているのかわからない。
ブータンの国家ビジョン「ブータン2020」では自然環境や文化伝統を破壊し、家族や友人、地域のきずなを犠牲にするような経済成長は追及せず、人が安らかに住める国をつくると宣言してGNP(国民所得)も南アジア2位になるまで成長した。ブータンは人口70万人の小さな国で中国とインドに挟まれ国家存続の危機感を常に抱いている武装しても勝ち目はない、国を守るのは人心しかない、国民総幸福量(GNH)は国家保全戦略でもある。前国王は数年かけて国中回って国民の声を直接聞き「国の安泰をもたらすのは国民の幸せだ」と学んだ。日本の政治家は本気度が足りない。年金生活者の暮らしを1日でも体験したらどうか。憲法13条で「幸福追求に対する国民の権利」が基本的人権として認められている、国民一人ひとりが幸せになる障害を取り除いてほしい。という内容でした。

一昨日ある大学のセミナーで会った某教授から日本経済を活性化する方法論はいろいろ解決案はすでにあるが、各省庁のお役人が、若い者も含めて、利権構造にしがみついて国民のことは全く考えずに、自分たちの天下り先のことばかり考えているといっていた。小沢ならメスを入れたかもしれないが管は口ばかりで全く何もできないだろうといっていた。国や国民は二の次と考える役人や政治家が多いのは事実で嘆かわしい。ブータンの国王の爪の垢でも煎じて飲ませたいものだ。
最近消費税の問題が話題になっているが、消費税うんぬんを言う前に、国会議員の報酬を下げ、天下りを全廃し、公務員の削減と報酬を下げてからにしてほしい。

今朝息子と消費税や役人お話になってセミナーでの教授の話をしたら、日本は国家がつぶれるまで直らないだろうとのあきらめの意見でした。これから日本を支える多くの若者が希望を失ってきているのは、私も含めた大人の責任が大きいことの自覚もいるのではないでしょうか。

参考資料①を以下に紹介します。

国民総幸福量(Gross National Happiness):経済的に、精神的に豊かであるということ
http://eco.goo.ne.jp/life/world/bhutan/report12/01.html
【レポート】上田 晶子

 国民総幸福量とはブータンの開発政策の根幹をなす概念で、ブータンの現国王によって1980年代に唱えられたといわれています。現国王は、国民総幸福量の増大は、経済成長よりも重要であるとはっきりと述べています。この概念は、特に最近ブータンの国内外で開発政策に新たな視点をもたらすものとして注目され始めており、2004年2月にティンプで開かれた第一回の国際会議につづき、2005年6月20日からは、カナダで国民総幸福量に関する第二回の国際会議が開かれました。
国民総幸福量という概念を初めて聞いた人の多くが発する質問のひとつが、幸福という一見非常に主観的に聞こえる概念を国の政策に取り込むことの妥当性についてです。何が幸せかという問いに対する答えは、人によってまちまちで、それを政策に取り込むことは不可能に近いという考え方です。今年5月にブータンで初めて行われた国勢調査にあった「あなたは幸せですか」という質問にも、多少戸惑ったブータン人がいたようでした。私の周囲のブータン人からは、質問が漠然としすぎていて、家族との生活に幸せを感じているかとか、仕事に生きがいを感じているかといった、もう少し限定的な質問にして欲しかったという声が聞かれました。

 ブータンの政策の中では、国民総幸福量には4つの主要な柱があるとされています。それらは、持続可能で公平な社会経済開発、自然環境の保護、有形、無形文化財の保護、そして良い統治です。経済開発に一辺倒になって、自然環境が破壊されたり、ブータンの伝統文化が失われてしまっては、何の意味のないというのが、この政策の精神です。この国民総幸福量の増大の精神にのっとり、社会開発には特に篤い政策がとられています。例えば、医療費は無料ですし、教育費も制服代などの一部を除いて無料です。また、国土に占める森林面積は現在約72%で、今後も最低でも国土の60%以上の森林面積を保つ方針が打ち出されています。また、良い統治という面では、行政と意思決定の両面での地方分権化が進んでいます。人々は、自分達の住んでいる地域の開発プランについて、自分たちで優先順位を決め、中央政府に提案します。

参考資料②
http://premium.nikkeibp.co.jp/em/ngs/21/index.shtml
ナショナル ジオグラフィック日本版 2008年3月号
岐路に立つブータン
「国民総幸福量」政策の行方
「国民総幸福量」という考え
 現地語で「ドゥク・ユル(雷龍の国の意味)」と呼ばれるブータン王国は、面積は九州より一回り大きいほどの小国だが、インドと中国という二つの大国にはさまれながらも、千年以上も孤高を保ってきた。地理的な条件に加え、鎖国政策を長く続けてきたため、外界から隔絶されていたのだ。1960年代まで、舗装道路や電気、自動車はなく、電話や郵便制度もなかった。今でも、霧に包まれた崖に立つ古い寺院、川や森を見下ろすようにそびえる未踏の霊峰、4人姉妹を妃にめとった前国王がその一人と暮らす宮殿を眺めていると、ここは「時に忘れられた場所」という気がしてくる。訪れる人々が「最後の理想郷」と呼びたくなるのも、もっともだ。
 1972年、先代のジグメ・シンゲ・ワンチュク国王が16歳で即位した当時、ブータンは貧困、識字率、乳幼児死亡率のどれをとっても、世界で最悪の水準だった。鎖国政策が残したお荷物だ。「その代償は高くついた」と、前国王自らがのちに語っている。
 ブータンが開放路線に転じたのは1960年代、前国王の父が第3代国王だったときだ。彼は道路や学校を建設し、診療所を開き、国連への加盟を実現した。前国王は、さらに一歩踏みこんで、あらゆる面に目を光らせながら開放を進めようとした。それは、国が発展するとはどういうことかを見つめ直す機会でもあった。彼の姿勢は、彼自身が考案した「国民総幸福量(Gross National Happiness)」という言葉によく象徴されている。
 多くのブータン人にとって、国民総幸福量はマーケティングの道具でもなければ、ユートピア哲学でもない。生きていくための具体的な構想なのだ。国民総幸福量の柱は、「持続可能な開発」「環境保護」「文化の保全と振興」「優れた統治」の四つ。これらを指針としたことで、ブータンは天然資源の採取に頼ることなく、貧困から脱却することができた。
 ブータンは国土の4分の3近くが森林で、25%以上を保護区に指定している。これは世界でもかなりの高水準だ。識字率と乳幼児死亡率も大幅に改善された。観光業も伸びているが、観光客一人当たり、最高で1泊240ドルの観光税を徴収するので、ネパールのようにバックパッカーが押しよせ、荒らしまわることもない。国民がテレビを見られるようになったのは、1999年の末のこと。インターネットに接続できるようになったのも同じ年だ。
 しかし、パンドラの箱を開けたことで、懸念も高まっている。きわめて保守的で孤立していた社会が、米国の人気ラップ歌手の50セントや、プロレスのような激しい格闘技をいきなり目にしたらどうなるだろう。しかも、この国の人口63万5000人のうち、半数が22歳未満と若く、影響を受けやすい世代なのだ。(つづく)





ソニーの創業者井深大が考えていた21世紀の豊かさとは! [豊かさとは、幸福とはなにか]

ソニーの創業者井深大が考えていた21世紀の豊かさとは!
私は縁があって元気がよいころのソニーに30数年お世話になったことがある。高度成長期のソニーは日本を代表する企業として、45度の右上がりの奇跡的な急成長をしていた。
ソニーの話は面白い裏話は山ほどありますが、ここでは創業者井深氏が晩年、経営会議で今後のソニーの成長、日本の成長には「パラダイムシフト」(価値観や社会基盤の革新)が必要と繰り返し強く訴えていたことについてである。たまたま筆者は井深氏の側近の人脈があり、いろいろと裏話も聞いている。天才井深氏の発言は大方の役員クラスには理解されずに、井深さんもとうとうぼけたかなどと陰口がささやかれたようだ。井深氏は会議が終わったあと秘書に「まったくわかっておらん」と普段物静かな人が怒りにあふれていたという。
「パラダイムシフト」の話の中身は、実は天才井深氏以外では誰人として発想もしないし、考えもしないものであったからだ。事業家の域を超えて人類がどうすべきかを考えていた節がある。「お前たちはいつまで技術、技術とばかり言っているのか、それではソニーも東芝もみんな同じになってしまうではないか。心のことを勉強しなさい。宗教や哲学、心理学、超能力などだ。環境問題が大きくなってきているのは、現代科学を発祥させた、ニュートンやデカルトが悪い。人間は地球のがん細胞になってきている。原因は物と心を分離して考えることをはじめたデカルト的な発想であり、その辺から考え直す必要があるのではないか。物が豊かなことが豊かさの概念であった20世紀から、新しい豊かさの概念が21世紀には生まれるであろう。
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ここから先の話はソニーの人も知っている人は少ないことです。
井深さんの考えた21世紀の豊かさとは一体どんなものであったのでしょうか。
20世紀は物持ち、金持ち、地位もち、名誉もちが豊かな人尊敬されるえらい人であったが、21世紀はそのようなものの価値観は無くなっていき、「やさしい心を持った人」を豊かな人と呼ぶような時代になるだろうと予測していた。やさしいということが最も価値ある時代になるだろうと考えていた。人に対しても自然に対しても地球に対してもである。
そこで井深氏は自費で世界各国の心理学者や教育者などを集めて、どのようにしたらやさしい子供を創れるのか研究をした。
私が聞いている数年間の研究の結論のひとつは「生まれてから物心つく(3歳くらい)までにいかに沢山愛されたかによって決まるようだ」というものだ。すごく貧乏な家庭であってもみんなにいっぱい愛されて育った子はやさしくなれるし、どんなに大金持ちの家庭でも、いつも泣いている母親の後姿を見て育ったり、「お前なんか生まなければよかった」とか言われて育った子供はやさしく成れないという。
地位や名誉があり、大きな家や車を持った人が豊かではなく、弱者、子供ふくめあらゆる人にやさしく、そして、地球にもやさしい生き方をしている人たちを、みんながあの人は豊かな人だという時代が来るとよいと思う。
今、井深さんが生きていたらぼろぼろの日本を見て嘆くだろうなと思う。戦後の経済界のリーダーであった、井深大氏や松下幸之助氏の哲学は人間論まで達しているのがすごい。残念ながら最近の経営者にはそのような人材が見られないのは残念である。
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