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日本人の幸福力の極意「金や出世ならぬ人生に一心な江戸っ子の贅沢」(江戸っ子のたしなみ)藤原千恵子を読んで [貧しくても心豊かに暮らす法]

日本人の幸福力の極意「金や出世ならぬ人生に一心な江戸っ子の贅沢」(江戸っ子のたしなみ)藤原千恵子を読んで

低成長経済(マイナス成長)で閉塞感の強い今の社会及び、もっと厳しくなるであろう未来社会において、成長しなくても心安らかに楽しく暮らす知恵があれば、人生としては豊かである形をいろいろ探しているが、江戸時代のモデルは、仏教におけるお釈迦様の知恵とともに、その解決案のひとつかもしれない。

ここでは、日本人の幸福力の極意「金や出世ならぬ人生に一心な江戸っ子の贅沢」(江戸っ子のたしなみ)という藤原千恵子さんの論文を紹介しながらいろいろ考えて行きたい。

江戸っ子の幸福力
江戸時代の絵の中に
天気がよし
夢でもよし
いつでもよし
なんでもかでもずっとよしよし
という記述がある。
17世紀から270年間平和を維持した江戸時代は世界的にも奇跡に近いといわれている。
その奇跡の平和を支えたのは、競争までして出世したくない、戦ってまでモノを持ちたくない、
なんでもよしよしの江戸庶民で、自然のままにあることを核にした江戸文化の象徴であった。
長い平和の中で江戸っ子はゆっくり幸福力を熟成して行った。

お天とう様しかみない、何事も腹八分目気張らないがんばらない生き方は軽さが身上、住所はころころ変わり、名前も変わる。
人生どう生きるかなんて事は悩まない。

悩むのは今日一日をどうやって大事に楽しく生きるかっていうことで、彼らは、頭で考えてではなく心で生きていた。

そうした江戸時代の軽やかな生き方を切り捨てて西洋文明社会を目指して邁進して果てに得たものは何だったでしょうか。
確かにモノは豊かになったかもしれないが、家庭は壊れ、希薄な人間関係、競争に疲れ果ててうつになった人々、決して心豊かになったとはいえないのが現状であろう。
文明の進歩の割には幸福には見えない。
江戸時代日本を訪れた外国人は江戸庶民はみんな礼儀正しく、楽しそうに見えたと語っている。

競争する代わりに知らない人でもにこやかに挨拶し、外部に対する用心より自省し、片寄せあって親和と安息の暮らしをしていた。

彼らはある意味で人生の達人であった。人生を丸ごと肯定し「なんでもよしよし」は何でもいいとは違っていた。
「三度のたく米さえこわし軟らかしおもふままにはならぬ世の中」

現代人はむやみにがんばるが、江戸っ子はがんばらなかった。
彼らは偉くても忙しい人はお気のどくさまと見ていた。
どうかして出世するような災難にゃあいたくないと金にならぬことを一心にやった江戸庶民の贅沢な幸福力はすごい。

所詮、人間の至福への道は江戸も現代も同じだ。
人間すべて出来事は因縁としてよき縁として受け入れ自然のままに生きれれば、鬱になることもなかろう。
無理して生きているからくたくたに疲れて、鬱にもなるのだ。
もっと、こだわりを捨てて自然のままに生きるようにしたいものです。

つづく
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コメント 1

龍馬

そんな粋な江戸時代を最低の暗黒時代に描いているのが今の龍馬伝なんですよね。大河ドラマであの作風は異常だと思います。
by 龍馬 (2010-11-25 18:06) 

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