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江戸時代はエコ時代 [エコな暮らし]

江戸時代はエコ時代
毎日一人10万kcal使っている日本、江戸時代は0calだった。それでもハッピー(「江戸時代はエコ時代」を読んで) [エコな暮らし] [編集]
毎日一人10万kcal使っている日本、江戸時代は0calだった。それでもハッピー(「江戸時代はエコ時代」を読んで)石川英輔

持続可能社会(サステナブル、ソサアティ)がよく話題になるが、本当の循環型エコ社会は江戸時代であったという。
ただ、昭和30年代中頃までは一人当たりのエネルギー消費は今の5-10分の1であり、江戸に近いと言えると言う。自然と共存していた。
農業が最大の産業で太陽だけで社会が回っていた。江戸時代までは生産の動力は人力でエネルギーゼロであった。
商品材料は植物で太陽エネルギーのみでできていた。手作業のみで高級な工芸品も作っていた。

石油がなくなれば便利で安楽な生活はできなくなるが、人類がホモサピエンスになって15万年、今の身体になって3万年くらい、3万年前の設計図でできている人間には江戸あたりの生活がちょうどいいのであって、今のように石油を使いまくっての便利で贅沢な暮らしは破滅的に人間には不自然な暮らしだ。

石油が急になくなると困るが、ゆっくり昭和30年くらいに戻るのであれば、みんな健康になるし困ることはない。
コンピュータ他の技術はなどは残るから、だいじょうぶ。
消えるのは石油をふんだんに使う技術やサービスだ。

テレビや冷蔵庫があたりまえで、贅沢を贅沢と思わないのが問題だ。
現代社会の便利さの維持には膨大なエネルギーが使われている。

現代の日本人は便利な社会を動かすのに毎日一人10万kcal使っている。
重油で10リットル、零度の水1トンを沸騰させるエネルギーだ。お風呂桶5杯を沸騰させる熱量だ。

エネルギー消費の50%は産業の30%が貨物で鉄道は2%、旅客機は4%だ、(2002年度)

ゼロカロリーの文明

江戸時代の人は衣食住のすべてを植物原料で作っていたからだ。光熱は行燈と蝋燭、薪と木炭。
大森林国であった当時の日本はカーボンニュートラルで木炭などのCO2は樹木が吸収した・

人間の出力は食品エネルギーと同じで1000kcalくらい。殆どゼロだ。
江戸時代は生産効率は低いがエネルギー効率はすごく高かったと言える。

大量生産の落とし穴

大量生産するに大きなエネルギーが要るし、使うのにエネルギーが要る。 われわれは気がつかないうちにタダ、生きているだけで膨大なエネルギーを消費する社会に生きているのだ。
人類は豊かさに耐えられない

地球は46億年前に生まれた。
人類になって15億年
われわれ人類はもののあふれる生活に順応できないのではないかと危惧している。
子供が肥満など成人病になるし、歩かず自動車に乗る、身体を使わず機械にやらせる、電燈で夜更かしをするなど不自然な生活は身体に悪い。
地球のためではなく自分のためにやさしくする。できるだけエネルギーを使わないで質素な生活をしたほうがよいということだ。

「物のあふれる豊かさ」は動物としての人類(特に子供)に有害、
人類とチンパンジーが別れて人科の動物が生まれて600万年、ネアンデルタール人まで50種の人類が生まれては消えた、
現生人類が生き残ったのは栄養効率が高く少ない食料で生きられる血統のようだ。
人類が農耕始めて11000年しかたっていない、われらの先祖は人類の歴史のほとんど狩猟採集でようやく生き残った。

人類は700万年の殆ど電燈も自動車も無く、身体を使って生きてきた。
4000年前にはピラミッドを作るほど進化した。しかし人力ですべてこなした。
人力以外の動力は200数十年前まで、蒸気機関ができるまで続いた。

日本では明治以降欧米式がよいとして今日に至る。
現代人にあたりまえな「便利で豊かな暮らし」はごく短い歴史しかない。
従って、ハードウエアである肉体が適応できないばかりか、ソフトウエアの心もついていけない。

日本に人類が来たのは4万年前といわれている。
われわれは4万年前の設計図のままの肉体で生きている。
どんぐり拾い、弓で鹿を取り、ぎりぎりの栄養で生きてきたからだそのままだ。
人類はもともと仲間内で遊びながら成長する動物だが、最近の子供はがんじがらめの大人の生活に組み込まれた子供はどうなるのか心配だ、

宵越しの金を持たない理由

現代の平均日本人は貯蓄志向が強いが、江戸時代は宵越しの金を持たなかった。
残す必要が無かったからだ。
理由1
自分の家を持とうとしなかった。(現代は一生かけて住宅ローンを払う)(家賃が安い、2万円くらい)(火事が多かった)
理由2
子供を大学まで出そうとしなかった。(寺子屋はタダ同然安かった)
理由3
老後が短かった。平均寿命40歳くらい

江戸時代の消夏法
我慢する
風鈴、うちわを使う
鈴虫などの声を聞く
外で涼む(今のアジアでも同じだ)

江戸時代は民生や教育はボランティアで運営されていたし、庶民の税金は無かった。
1両は18000円くらい
食べ物は安く、着物は4枚暮らしか持たない。
家具は殆ど無かった、
大工で月収2両(36000円くらい)で生活ができた。
今のミャンマーくらいでしょうか。

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日本初骨髄バンク設立物語(大谷貴子、園上さおり他)

日本初骨髄バンク設立物語
多くの困難を乗り越えて、日本初の骨髄バンクを設立し、普及活動を牽引した人々の、それぞれの思いを描く。「血液のがんといわれる白血病、
日本では年間5000人前後が発症している。多くの悪性腫瘍が、高齢者ほど罹患率が高くなるのに対し、
白血病は、乳児から高齢者まで幅広く発症する。つまり、若い世代でも不幸にして発症してしまう可能性はがんの中でも比較的高いのだ。
24歳で発症した大谷貴子もその一人だった。大学院の卒業を間近に控え、英語の教師になるはずだった 。
入院した病院で、大谷は一人の少女・園上さおりと出会った。まだ14歳で、大谷を姉のように慕った。
白血病が薬で完治するケースは約三分の一といわれる。あとは骨髄移植に頼るしかない。血液をつくる骨髄を、他の人から移植する。しかし、
骨髄には数万の型があり、一致するドナーを見つけることは困難を極めた。大谷は奇跡的に母親から移植を受けることができ、生還した。
しかし、園上は亡くなった。15歳だった。
ショックを受けた大谷は、主治医だった森嶋泰雄に相談する。森嶋は、すでにアメリカで稼動していた「骨髄バンク」という制度を提案した
。予め多くの骨髄提供者を登録しておけば、骨髄が必要になったときに適合するドナーが見つかるかもしれない。大谷と森嶋は、「骨髄バンク」設立に立ち上がった。
(2002年2月26日放送)

あなたの骨髄が、誰かを救う。骨髄バンク設立の物語。
軟式テニス部の園上さおりは中学二年の12月、倒れた。病名は慢性骨髄性白血病。両親は本人に貧血と説明して京大病院に入院。
病院でさおりに英語を教えていたのが大学院生の大谷貴子(24歳)。東京電機大の講師に内定していた大谷も同じ病気だった。
白血病は血液のガンといえば分かりやすいか。骨髄の異状により発病する。
「急性転化」すると、ほぼ半年しか生きられない。一部しか薬が効かないこの病気は、骨髄移植が必要になる。
だが、骨髄移植には高いハードルがあった。血液にはHLAという白血球の型がある。適合率は兄弟姉妹で25%しかない。
他人なら500~1万人にひとりしか適合しない。大谷は、海外に住む姉を頼ったが不適合。
焦った彼女は卒業名簿をめくり、泣きながら血液検査するよう頼む。この場面の描き方が真に迫っていて、とても胸を打つ。
とても涙なしには読めない。結局大谷は母親から骨髄をもらうことに。
そして生還を果たす。逆にさおりは急変して亡くなる。卒業式を車椅子で参加した後だった。大谷は、さおりの死が悔しかった。
自分に何かできることはないか。名古屋大学医学部の内科医、森島を訪ねる。
森島は言う。アメリカで発足した骨髄バンクがあれば・・・大谷は10万人の登録者を求め、「名古屋 骨髄献血希望者を募る会」を発足。
このことが中日新聞に載る。電話は来るのだったが反応は厳しい。厚生省(当時)も健康な人の骨に針を刺す治療に冷ややかだった。
そこで大谷は、名古屋でシンポジウムを開催する。500人近くが会場に来た。
骨髄移植は事故のリスクがある。もしドナーになれば、仕事を4日休まなければならない。
その後、橋本という生保会社勤務の白血病患者と出会う。また、検査費用は当時、「募る会」が負担しなければならない。
税理士の三品はボランティアで寄付集めに奔走する。彼は息子がかつて重い黄疸で、献血によって助けられたことがあった。
89年、400人の登録者が集まった。しかし橋本が急性転化の危機に。
橋本に適合する骨髄の持ち主が見つかる。その人は大垣市役所の田中(40)。
父から「人の役に立て」と常々言われていた田中。断酒して骨髄提供に挑む。
医師の森島は田中に、何も補償できないと正直に言う。そして、何かあれば「私を訴えてくれ」とも。
田中の骨髄は1リットル抜かれて橋本の所へ運ばれるそして移植が始まった。
橋本の血液型はABからOに変わった。血縁者以外では日本で初めての骨髄移植だった。
命が助かった橋本は、自分が骨髄の提供を受けたことを公表する。91年、「日本骨髄バンク」が発足。
97年にバンクの集会で提供者の田中と橋本が握手した。


15歳で白血病で亡くなった園上さおりは、こんな詩を残している。


私はふつうの高校に行って、 もし大学に行くならふつうの大学へ行って、 ふつうに就職して、 ふつうのお嫁さんになって、 ふつうの家庭で、ふつうのお母さんになって、 ふつうのおばあさんになって、 ふつうに死にたい
重い病気で苦しむ人たちがいる。健康な時、人は病人の苦しみをなかなか理解できないもの。
それでも人には想像力がある。もし、あなたの家族が白血病だったら。
骨髄バンクについて無関心ではいられないはずだ。あなたの勇気で助かる命がある。
確実にある。患者たちはそれを待っている。日本人はもっと献血とか骨髄移植、臓器移植について理解を深めてもいいのではないか?
「自分は血液や骨髄の提供は無理」という方もいるだろう。それは仕方ない。
しかし、献血だけが献血ではない。こんな人助けもある」という宣伝だって献血のひとつだ。
少子高齢化が急速に進む現代。近い将来、血液は不足する。だから今、献血や骨髄移植のことを考えよう。
現在、ドナーは70万人を突破。移植は2万件を超えている。(平成29年の数字)技術的にも「ミニ移植」など向上している。
もし、「骨髄移植についてもっと知りたい」というのなら、HPかここに電話。

03-5280-1789
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