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「運を引き寄せる」浅見帆帆子(作家) サンデー毎日130203記事(住吉美紀・インタビュー) [元気でハッピーになる秘訣]

「運を引き寄せる」浅見帆帆子(作家)
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「運を引き寄せる」「物事に偶然はない」運について自身の実験に基づいて書かれた本が400万部のベストセラーになっているそうだ。

出会いも全部必然と最近感じます。
ロンドンに留学中にアパート探しながら、運よく良い物件が簡単に見つかったり、なかなか見つからなかったり、運がよくなる行いについて徹底的に実験してみた。

運を引き寄せるに、始めたのがごく当たり前のこと
「周りの人に笑顔で挨拶をする」
「借りている部屋のそうじをする」
「今ここにいること、ありとあらゆることに感謝する」
そんなことを徹底的にやって、不動産屋にいったら、偶然ぴったりの物件がFAXで流れてきてびっくり。
それで
運というものはその人の行いに引き寄せられるものだとわかった。

帰国後、インテリアの仕事をしようと思い、アルバイトでお手伝いをしていた。
自分のイメージと違い悩んでいた時、両親に「あなたが一番いい状態で、幸せに仕事している姿をイメージしなさい」と言われた。

「職種は何でもいいから、うれしい、幸せという感覚をイメージして、あとは今、目の前にある事を一生懸命やりなさい」と言われた。
留学前からやっていた家庭教師をやりながら、やりたいことのイメージを膨らませていった。
夢を実現する時の基本は、一度しっかりビジュアル化したら、あとは心配せずに流れに任せ、目の前のことをプラス思考でやるのがルールであり、すると自然にその波動に近いものが引き寄せられてくる。途中は考えなくてよい。

ある時、家庭教師のご両親から知り合いの会社の会議室の内装を手伝ってくれないかと頼まれ、初めてのインテリアの仕事をした。
ここの社長から「あなたは何をやっているの」と聞かれ、ロンドンに留学して、「運の仕組み」「夢実現のイメージング法」の研究していると話したら、この社長は出版社の社長であり、その話面白いから本にしないかということになった。
家庭教師と出版は全然関係ないがイメージがしっかりしていると偶然がむすびつく、道はどこかがつながっていると思った。1,2冊書いて作家は自分の性格に合っているし楽しいと思った。
運をよくするって、潜在意識とか直観とか宇宙の法則につながっている、直感はどうすればさえるのかなどテーマはいろいろある。
対人関係などおもしろい。
すごく嫌な人と出会ったり。
こういう人と会うのはどんな意味があるのだろう。
こちらが変わると相手が変わる。
そういうの、全部自分次第ということがわかると、うまくいく仕組みや宇宙のルールみたいなものがわかると面白い。

この10年で「見えない世界」についてのとらえ方がすごく柔軟になってきた。
スピリチュアルなことが日常の延長にある。
神社に行くのもレイキの高い場所だから、その中にいることで頭の中が整理されたり、自分の周りがお浄めされたりする。

パワースポットブームも一例。
不安の裏返しかもしれない。

震災以降、人の計算とか想像を越える自然の力を知ってしまった。日本人のメンタリティが変わった。 自分の本音に正直に、なったり、大事な事にきずいて生活を変えた人はたくさんいたと思う。 震災以降、臨界点を越えたのではないでしょうか。

たとえば
競争と比較の世界に生きてきた人がそれをしなくても実はみんな幸せになれる考えがあるってきずいた。 これらが本当か本当でないかじゃなくて、それを取り入れると毎日が面白くなるということで充分。
いかに自分軸で物事を考え日々を面白がることができるか、自分に与えられた命ある時間を少しでも充実させられるかが大事になる。
今あるもので幸せになる生き方を選ぶか、不満を言ったり国のせいにしてどんどん暗くなっていくか、選ぶのはその人です。

結婚や離婚もその人の本音で一番いいと思う状態がその人の幸せ。
日本で理想されていたと結婚や主婦の形は女性が我慢して成り立っていたところがたくさんあった。本音に素直になったら自分は結婚しないほうが幸せという人もいる。

他人の価値観を皆が認めるようになるから幸せの尺度はそれぞれの自由となる

江戸の心ー共生共助 [元気でハッピーになる秘訣]

江戸の心

江戸の文化をうまく取り入れれば、行きづまりつつある現代の社会の中で、もっと楽しく生きられそうな気がする。「もの」『自然」『人」との「共生共助」こそ江戸文化の中心ではないか。
「共生共助」
物との共生―――もったいない。特に手作りのものの中には作り手の心が込められている。良いものを永く大切に使う文化。
大量生産の安いものを次から次に求め、捨てることが美徳になりつつある現代とは大きく違う。

自然との共生――――楽しむ豊かさを知っていた。種まいて芽が出て、花が咲き,枯れるまでのゆっくりした時の流れを味わっていた。盆栽などで大きな自然を小さな自然として身近なものとして生活の中に取り込んだ知恵。

人との共生―――――江戸時代の長屋はシェアハウスの原点だ。省エネでエコな暮らしの中に、自ずから助け合いと住む人どうしの絆が生まれた。

このような江戸の心をうまく生かせれば、お金お金まっしぐらでなくても、結構楽しくやっていける気がする。


坂村真民の詩(心の薬箱)① ----元気や希望を無くしたら読んでください。 [貧しくても心豊かに暮らす法]

坂村真民の詩(心の薬箱) ----元気や希望を無くしたら読んでください。
130109-詩集「念ずればはなひらく」より

私の家の前に住む人が、坂村真民の大ファンで最近本を私にくれました。
何か心に残る詩がたくさんあるが、その一部を紹介しておきます。
元気や希望を無くしてイヤになっちゃたときに元気になる薬箱みたいなものです。


あるひとに

生まれてこなければよかったと
思われることもありましょうが
どうか思いなおして
人間として生まれたことを感謝し
なんでもいいから
自分でできることをして
生きてください
十七文字の俳句を
作るのもいいです
いっしょうけんめい考えたら
神からの授かりものが
何かあるはずです
信仰と希望と愛
そんなことを
じっと考えてください
光が射してきます
力が生まれてきます
暗かったこころのカーテンを
明るいカーテンにして
あなたの心に
灯りをともしてください




あの時のこと

あの時のことを
お互い忘れまい
ふたりが
固く誓いあった時のことを
ふかく喜びあった時のことを

思いあがった時は
いつも思い出そう
初めて母となった
あの嬉し涙を
お互い
古くなってゆく袋に
新しいものを入れなおそう

おのれを失った時は
いつも語り合おう
慰めあい
苦しみあい
二人で過ごしてきた
数々の日のことを

「降りてゆく生き方」映画をみて [豊かさとは、幸福とはなにか]

「降りてゆく生き方」映画を見て
130106

昨日八王子で開かれた自主上映の話題の映画「降りゆく生き方」を見た。
数回見てもいつも感動して涙が止まらなかったとかのコメントが主催者から初めにあったが。
正直見終わってまったく感動はなく、臭くて、やらせの田舎芝居のような内容で、映画としてのレベルは最近見たうちでは最低であった。決してボランティアで出演されている人たちを否定するものではありませんが、もう少し中身のある内容で有ってほしかった。
しかし、驚くのは、2009年公開されてからロングランが続いていること、八王子の会場も満員で若い人や身体障害者らしき人が多かった印象でした。社会運動的な動きになっているのか、何なのか疑問がおきた。
ネットでコメントを拾ってみると以下のようなコメントもあったので引用しておく。
このコメントは理解できるし、映画が社会運動のようになってきているのは、特に企業や社会での激しい競争に疲れ果てた人や、病気や社会の底辺にいる人たちの気持ちを代弁しているからかもしれない。
降りる考えも大切だが、激しい競争に勝つ抜くことも全面否定では困る、バランスの取れた生き方が必要とされよう。


 先日 武田鉄矢さんが主演している「降りてゆく生き方」という映画を見ました。この映画は普通の街の映画館で上映されず、又 DVDにもならないものだということでした。
 そのとおり自主上映という形で倉敷法人会の主催でしたが、会員がチケットを一枚一枚売りさばき、映画会場も真備町の公的な施設で、まさに手づくりの上映会でした。

 内容は武田鉄矢ふんするモーレツサラリーマンが、自然豊かな農村を開発し 外資に売ろうと企て農民の中に入ってゆくのですが、ゆけばゆくほど農村の豊かさ農民の温かさにふれ、最期は自ら会社を辞め農村や農民を守る側につくというものです。

 戦前の日本と戦後の日本、大きく変りました。大家族制から核家族へ。生産共同体から消費共同体へ。もったいないから大量消費の浪費社会へ。家族は家族で看るという自助社会から、何でも国に頼り、何でも国をあてにする社会へ。

 大きな政府、大きな財政、大きな経済、大きな投資、大きな消費、大きな財布、大きな家、大きな車・・・ すべて大きさを求めてゆくようになりました。その結果 物質的には豊かで物があふれる日本になりました。まさに右肩上りが当り前、拡大再生産社会、バブル経済と昇りゆく時代となったのでした。しかしバブルが崩壊し、この右肩上り神話が疑問視され、それからデフレ社会が20年。そして決定的なリーマンショックにより、今の繁栄今の豊かさは砂上の楼閣であり、なんら裏付けのない虚構幻想であったことがはっきりしてきました。

 金融工学という訳のわからない計算上の豊かさ 繁栄であり、一たび夢から覚めてみると うすら寒い時代が到来していたのでした。
 この寒さは人としての本質的な豊かさを放棄し捨て去った 故の寒さです。人としての思いやり、温かさを捨て非情に物や余りを追い求めた故の寒さです。
 結局人はモノやお金では温かくならないことが解ったのです。いや、モノやお金は人を温めるものではないことが分かってきました。

 豊かになった自らの周りをながめ、自らが裸で寒風にさらされていることを、今 我々は一人一人 氣付くべきです。

 昇り来た山頂で凍え死ぬのか、それとも山を下り 山を降りて、もう一度 自らを温めるのか(富士山のふもとは真夏でも、富士山の頂上は0℃以下です)。
 降りてゆく人生、降りてゆく生き方。今こそ必要な生き方です。(これ以上 昇る山もないし、頂上に居れば凍えてしまうわけですから。)
 
 日本人がお腹いっぱい食べる時代はここ50年です。戦前までずっとほとんどの日本人は腹ペコの生活でした。太古から縄文 弥生~平安~江戸~ずっと一日二食、一汁一菜。お米ではなくアワやヒエなどを食べ、土日もなく朝から晩まで働いていたのです。栄養がどうの、働きすぎがどうの、それ以前のところで精一杯生きていたのです。

 昭和、平成のここ50年です。テレビやコンビニなどで、真夜中でも何不自由なく昼間と同じ生活ができるのは。何千年も何万年も日本人は太陽が出れば起きて、太陽が沈めば家族だんらんの時を持ち床に就く生活を行なっていたのです。

 もう一度昇ること、拡大すること、貯めること、将来に不安を持つことをやめ、降りてゆくこと、縮小すること、捨てること活かし生かすこと、今 ここをしっかり感謝して生き抜いてゆく生活になってゆきませんか。  足るを知り、感謝に満ち満ちた生活。物に固執せず 人に固執する生活。家族、家を大切に他人を思いやる生活。足りないところ、足りない物を補い合う生活。余っている物を人に分け与え合う生活。

 こんな「降りてゆく生き方」をする時代なのかもしれません。
 山登りは山へ登るだけでは山登りになりません。山を下って降りてこその山登りです。人生が山を登るようなものならば、当然 降りることも人生そのものです。

 私もこの「降りてゆく生き方」を上映したく申し込んでいます。来年 創業記念日  6月1日 上映し、皆さんと見る事を楽しみにしています。


 代表社員 前原 幸夫

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