マザーテレサの言葉(世界を負かすのに爆弾や銃を用いさせないで下さい。) [貧しくても心豊かに暮らす法]
マザー・テレサの言葉(愛と祈り)20220513
①こちらでは、マザーテレサによって残された言葉をとおして、その愛と祈りの生涯を見て行くこととします。
この世の最大の不幸は、貧しさや病ではありません。だれからも自分は必要とされていない、
と感じることです。
マザーテレサは、貧しい人々、病んだ人々を生涯にわたって愛し、助け続けました。
彼女のつくった「神の愛の宣教者会」は、「孤児の家」「ハンセン病患者の家」
「死を待つ人の家」「結核患者、精神病者の家」等を運営し、
常に貧しい人々の中のいちばん貧しい人々、病んだ人々、
社会の人々から必要とされていないと感じるような立場におかれた人々を、
今現在も愛し、助け続けています。(1)
②マザーの愛はこの世に生をうけた人すべてにおよびました。それは、
これから生まれてくる子のすべてにもおよびました。どのような環境に、
どのような事情で生まれても、一人一人が大切な命、神にも世の中にも望まれて
生まれてくると確信をもっていました。
あなたは、この世にのぞまれて生まれてきた大切な人
マザーの愛はそのマザー自身の信仰に、基づいていました。
ごうまんで、ぶっきらぼうで、
利己的になるのは、いともたやすいことです。
でも私たちは、
もっとすばらしいことのために、
つくられているのです。
(マザー・テレサ愛のことば より(8)
③
マザーの活動はインドのコルカタ(カルカッタ)で始まりましたが、やがて世界の多くの国々
へと広がることになったのです。
考える時間を持ちなさい
祈る時間を持ちなさい
笑う時間を持ちなさい
それは力の源
それは地球でもっとも偉大な力
それは魂の音楽
遊ぶ時間を持ちなさい
愛し、愛される時間を持ちなさい
与える時間を持ちなさい
それは永遠につづく若さの秘密
それは神が与えてくれた特権
自分勝手になるには、一日は短すぎる
読書する時間を持ちなさい
親しくなるための時間を持ちなさい
働く時間を持ちなさい
それは知識のわき出る泉
それは幸福へつづく道
それは成功の価値
施しをする時間を持ちなさい
それは天国へと導く鍵
[コルカタ(カルカッタ)の「孤児の家」の壁にある看板より]
子どもたちを見るとき、マザーの顔は優しさと慈しみにみちていました。
すべての子どもたちが、この世に望まれて生まれてくる、とマザーは言っています。
それは一人の例外もなくすべての子どもたちを意味していました。
マザーは、子どもたちは祈ることを学ぶ必要があると語りました。
④すべての宗教は、永遠なるもの、つまりもうひとつの命を信じています。
この地上の人生は終わりではありません。終わりだと信じている人たちは、死を恐れます。
もしも、死は神の家に帰ることだと、正しく説明されれば、死を恐れることなどなくなるのです。
(マザー・テレサ 日々のことば より
マザーは永遠なる命について語っています。死は終わりではない、
正しい信仰を知って生きる人は死を恐れることはないと言っています。
すべての人はやがてこの世の死を迎える事により、神(宗教、宗派を超えた父(創造主))の家
(霊魂の世界)へ帰ると語っています。彼女の信仰は、祈ることによって成し遂げられました。
私の秘密をおしえましょうか。私は祈ります。キリストに祈るということは、
キリストを愛することと同じなのです。
救われるためにどうしたらよいのでしょうと尋ねる人があったら、
私の答えは「神様を愛することです。そして、何よりもまず祈ること」
キリストを知らない人が、真にキリストを知るようになることをマザーは願っていましたが、
それに関連して、彼女はこの世のすべてのキリスト信者にとって大切な言葉を残しています。
キリスト信者と世間に認められていても実際には実行していない人は、
キリストを知らない人がキリストに近づこうとする事をさまたげてしまうと言っています。
生涯を通して実践していたマザーの大切な言葉です。
ガンジーは、キリストのことを知った時、興味をいだきました。しかし、
キリスト信者たちに会って、がっかりしたそうです。
キリストに近づこうとしている人たちにとって、キリスト信者たちが最悪の障害物
になっていることがよくあります。言葉だけきれいなことを言って、
自分は実行していないことがあるからです。人々がキリストを信じようとしない一番の原因はそこにあります。
(マザー・テレサ愛と祈りのことば より(6)
⑤マザーは真の信仰(祈り)であれば、その人の祈りは、きっと受け入れられると話しました。
信仰が深まれば、いかなる宗教、階層、肌の色、国籍、貧富の差も存在しないとわかります。
マザー・テレサより
マザーの信仰は、あらゆる宗教、宗派はもちろんあらゆる人種、社会的身分の人々を含むものでした。
すべての人々が必要としているのは、他の人々をもっと愛し始めることと言っています。
神様だけが、私たちの真の必要をご存知です。
愛の欠如こそ、今日の世界における最悪の病です。
(マザー・テレサ愛と祈りのことば より
どんな小さいことであっても、大いなる愛を込めておこなうことは、人に喜びを与えます。そして人の心に平和をもたらします。
何をするかが問題ではなく、どれほどの愛をそこへ注ぎ込むことができるか、、、 それが重要なのです。
(マザー・テレサの「愛」という仕事 より(7)
⑥コルカタ(カルカッタ)での、ある晩のことです。マザーたちは路上で病人を見つけました。
その中の一人の女性が特に重症だったのですが、彼女の体は、虫や蛆に覆われていたのです。
私は愛情のすべてを注ぎ、できる限りの世話をしました。
そしてベッドに寝かせてあげた時、彼女は私の手を取り、美しく微笑んだのです。
こんなに美しい笑顔を、私はそれまでに見たことがありませんでした。
「ありがとうございました」
彼女はそうひとこと言って、静かに息を引き取ったのです。
そんな彼女の死を目の当たりにして、私は自分に問いかけてみました。
「私が彼女だったら、どうだろう?」
私は正直に答えを出してみました。
「人の気をひこうとして、『痛い』とか『お腹が空いた』とか『死にそうだ』
とか言ってしまうかもしれない、、、』
彼女は私に愛をくれました。彼女は、私が彼女にしてあげた何倍ものものを、与えてくれたのです。
私たちのところにいるのは、こういう人々なのです。
この貧しくも美しい人々は、何も私の所にだけいるのではありません。誰の側にも必ずいるはずです。
孤独な人はどこにでもいます。あなたはそのことに気づいているでしょうか?
(マザー・テレサの「愛」という仕事 より
マザーは真実な人でした。その信仰に基づき、貧しい人々の中のいちばん貧しい人々を
愛し続けた生涯でした。
彼女の大きな仕事の一つであった[死を待つ人の家]は、人間のこの世の人生の、
最後(死)の瞬間を、尊厳を持って迎えてほしい(迎えるべきである)、
という彼女の真の愛(信仰)によって始められ、今も後継者たちにより実践されているのです。
それは、現代(科学万能)社会において、すべての人々にとって失われつつある大切なもの
(死の尊厳、真の愛《信仰》)を、示しています。
彼女には多くの寄付(お金や物)や賞金(ノーベル賞・1979年
《自分が受けるのではなく、彼女の言う、貧しく美しい人々が受け取るのなら、
と受賞したのです》等)が入りましたが、それらのすべてを、彼女の愛する貧しい人々
のために使っていました。
彼女は、生涯を通じて、日常的に自分自身のものと呼べるものは、聖書等の他には、
洗濯用の一つのバケツと数枚の身に着けるサリーと素足にはくサンダル等以外
何一つ持っていなかったのです。貧しい人たちの中で、同じように貧しく生き抜いた人でした。
(彼女に従ったシスターやブラザーたちも、同様に、家族も財産も地位も名誉も、
すべてを捨てて、無一物でその生涯を捧げているのです。)(10)
⑦幸せについて
今、この瞬間幸せでいましょう。
それで十分です。
その瞬間、瞬間が、私たちの求めているものすべてであって、他には何もいらないのです。
今、幸せであるようにつとめましょう。
他の人をーあなたより貧しい人々も含めてー愛しているのだということを、
行動によって示すことで、彼らを幸せにすることができるのです。
たくさんのものが必要なわけではありません。
ただ、微笑みかけてあげるだけでいいのです。
だれもが微笑むようになれば、世界はもっと素晴らしい場所になるでしょう。
ですから、笑って、元気を出して、喜びなさい。
神はあなたを愛しているのですから。
マザー・テレサ語る より
インドのコルカタ(カルカッタ)において、マザーは、
無一物の一人の人間としてその行動を起こしました。彼女は、聖なる者として生きることに、
その全生涯を捧げたのです。
その時の彼女の立場(社会的、組織的、環境的)によるありとあらゆる困難を
一つ一つ克服して行きました。それを支えたのは彼女の真の信仰(真の愛)でした。
(12)
⑧死について
マザーは、人間の死について次のように語っています。死はこの世から自分の家に帰る事
と言っています。この言葉はマザーが人間のいのち(霊魂)について、はっきりとその行方を知っていた事を示しています。
死は自分の家に帰ることですが、人は、何が起こるかを恐れて死にたくないものです。
そこには良心の問題もあります。
”もっとよくやるべきだったのに”と。
私たちは生きたように死ぬものです。
死とは人生の続きであり、
また、人生を完成させるだけでなく、体をお返しするに過ぎないのです。
しかし、心と魂はずっと永遠に生き続けます。
死なないのです。
(マザー・テレサ 日々のことば より
ここには、マザーの信仰にもとづいた真理が示されています。体(肉体)を返しても心と魂(霊魂)は永遠に生き続けると言っています。そのまま本人(霊魂)は人生の続きを生き続けると言っているのです。もちろんマザー自身は、その真理は宗教や宗派の違いによって左右されるようなものでは無い事をも知っていたのです。
(15)
⑨微笑
マザーは、ウィトとユーモアに富んだ明るい人でした。そして、彼女とともに働く
シスターたちに、常に微笑みを忘れないように、と話しました。
笑うことなど出来ないような、悲惨な状況であればあるほど、微笑みが必要であると言いました。
それが実践出来ているのは、彼女たちに信仰による喜びの心と真の愛が、
常にともなっているからなのです。
マザー自身でさえも、仲間のシスターに対して微笑みを向けることが難しい時があることを、
認めていました。マザーも人間として様々な感情があっても、何の不思議もありません。
そんな時には、マザーは「そのような時、わたしは祈ります」と言っていました。
(18)
⑩世界を負かすのに爆弾や銃を用いさせないで下さい。
マザーは、人々の幸せと平和を願う人でした。
世界を負かすのに爆弾や銃を用いさせないで下さい。
愛と共感を用いさせて下さい。
平和は微笑みから始まります。
あなたが微笑みたくない人にも1日5回微笑みましょう。
神の光をともして、世の中で、またすべての人々の心の中で、あらゆる憎しみや権力愛を消しましょう。
マザーの言葉に、
貧しい人々はすばらしい(美しい)、という表現があります。
彼女は、富める人々には無いもの(真の自由と幸福)を貧しくも精いっぱい生きる人々の中に
見ていたのです。
日本語には、『少欲知足』という簡潔ですばらしい言葉があります。
また一方では洋の東西を問わず、
『人は持てば持つほど欲しがるもの』というような言葉もあります。
貧しい人の中で最も貧しい者は自由で、幸福です。
この人々にとって、多くのことを常に欲し、望む人々のことは何でもありません。
第三世界の貧しい人は、私たちに、満ち足りるということが、どういうことかを教えてくれます。
これは西欧の人々が忘れているものです。
(マザー・テレサ インドから世界へ より
(24)
⑪許すということ
大切なのは、
どれだけたくさんのことをしたかではなく、
どれだけ心をこめたかです。
人を責めるのは簡単にできます。人を恨むことも、憎むことも簡単にできます。そして、
怒ることも、許さないことも、感情的に人を裁くことも簡単にできます。
しかし、人を許すことは簡単にはできません。特に自分に対して、
また自分の仲間(家族、友人、仲間等)に対して罪(害)をなした人を許すことはとても困難です。
一面においては、人は、気づいているか気づいていないかに関わらず、
何らかの罪(害)を犯さずに生き続けることはできません。
自分が当然の事として行っていることが、人を傷つけているかもしれません。
時には良かれと思うことさえも、人を傷つけているかもしれないのです。
人には、自分が許されなければならない事もあるのです。
困難ではあっても、お互いに許しあわなければ、平和に暮らす事はできません。
マザーは、真に人を愛するためには、人を許すことが必要であると語りました。
人を許すことは、非常に困難で簡単には出来ないことです。彼女は、真に人を愛するためには、
許すことを知らなければならないと言っています。
もしほんとうに愛したいと願うなら、
許すことをしらなければなりません。
マザー・テレサ愛のことば より
(28)
①こちらでは、マザーテレサによって残された言葉をとおして、その愛と祈りの生涯を見て行くこととします。
この世の最大の不幸は、貧しさや病ではありません。だれからも自分は必要とされていない、
と感じることです。
マザーテレサは、貧しい人々、病んだ人々を生涯にわたって愛し、助け続けました。
彼女のつくった「神の愛の宣教者会」は、「孤児の家」「ハンセン病患者の家」
「死を待つ人の家」「結核患者、精神病者の家」等を運営し、
常に貧しい人々の中のいちばん貧しい人々、病んだ人々、
社会の人々から必要とされていないと感じるような立場におかれた人々を、
今現在も愛し、助け続けています。(1)
②マザーの愛はこの世に生をうけた人すべてにおよびました。それは、
これから生まれてくる子のすべてにもおよびました。どのような環境に、
どのような事情で生まれても、一人一人が大切な命、神にも世の中にも望まれて
生まれてくると確信をもっていました。
あなたは、この世にのぞまれて生まれてきた大切な人
マザーの愛はそのマザー自身の信仰に、基づいていました。
ごうまんで、ぶっきらぼうで、
利己的になるのは、いともたやすいことです。
でも私たちは、
もっとすばらしいことのために、
つくられているのです。
(マザー・テレサ愛のことば より(8)
③
マザーの活動はインドのコルカタ(カルカッタ)で始まりましたが、やがて世界の多くの国々
へと広がることになったのです。
考える時間を持ちなさい
祈る時間を持ちなさい
笑う時間を持ちなさい
それは力の源
それは地球でもっとも偉大な力
それは魂の音楽
遊ぶ時間を持ちなさい
愛し、愛される時間を持ちなさい
与える時間を持ちなさい
それは永遠につづく若さの秘密
それは神が与えてくれた特権
自分勝手になるには、一日は短すぎる
読書する時間を持ちなさい
親しくなるための時間を持ちなさい
働く時間を持ちなさい
それは知識のわき出る泉
それは幸福へつづく道
それは成功の価値
施しをする時間を持ちなさい
それは天国へと導く鍵
[コルカタ(カルカッタ)の「孤児の家」の壁にある看板より]
子どもたちを見るとき、マザーの顔は優しさと慈しみにみちていました。
すべての子どもたちが、この世に望まれて生まれてくる、とマザーは言っています。
それは一人の例外もなくすべての子どもたちを意味していました。
マザーは、子どもたちは祈ることを学ぶ必要があると語りました。
④すべての宗教は、永遠なるもの、つまりもうひとつの命を信じています。
この地上の人生は終わりではありません。終わりだと信じている人たちは、死を恐れます。
もしも、死は神の家に帰ることだと、正しく説明されれば、死を恐れることなどなくなるのです。
(マザー・テレサ 日々のことば より
マザーは永遠なる命について語っています。死は終わりではない、
正しい信仰を知って生きる人は死を恐れることはないと言っています。
すべての人はやがてこの世の死を迎える事により、神(宗教、宗派を超えた父(創造主))の家
(霊魂の世界)へ帰ると語っています。彼女の信仰は、祈ることによって成し遂げられました。
私の秘密をおしえましょうか。私は祈ります。キリストに祈るということは、
キリストを愛することと同じなのです。
救われるためにどうしたらよいのでしょうと尋ねる人があったら、
私の答えは「神様を愛することです。そして、何よりもまず祈ること」
キリストを知らない人が、真にキリストを知るようになることをマザーは願っていましたが、
それに関連して、彼女はこの世のすべてのキリスト信者にとって大切な言葉を残しています。
キリスト信者と世間に認められていても実際には実行していない人は、
キリストを知らない人がキリストに近づこうとする事をさまたげてしまうと言っています。
生涯を通して実践していたマザーの大切な言葉です。
ガンジーは、キリストのことを知った時、興味をいだきました。しかし、
キリスト信者たちに会って、がっかりしたそうです。
キリストに近づこうとしている人たちにとって、キリスト信者たちが最悪の障害物
になっていることがよくあります。言葉だけきれいなことを言って、
自分は実行していないことがあるからです。人々がキリストを信じようとしない一番の原因はそこにあります。
(マザー・テレサ愛と祈りのことば より(6)
⑤マザーは真の信仰(祈り)であれば、その人の祈りは、きっと受け入れられると話しました。
信仰が深まれば、いかなる宗教、階層、肌の色、国籍、貧富の差も存在しないとわかります。
マザー・テレサより
マザーの信仰は、あらゆる宗教、宗派はもちろんあらゆる人種、社会的身分の人々を含むものでした。
すべての人々が必要としているのは、他の人々をもっと愛し始めることと言っています。
神様だけが、私たちの真の必要をご存知です。
愛の欠如こそ、今日の世界における最悪の病です。
(マザー・テレサ愛と祈りのことば より
どんな小さいことであっても、大いなる愛を込めておこなうことは、人に喜びを与えます。そして人の心に平和をもたらします。
何をするかが問題ではなく、どれほどの愛をそこへ注ぎ込むことができるか、、、 それが重要なのです。
(マザー・テレサの「愛」という仕事 より(7)
⑥コルカタ(カルカッタ)での、ある晩のことです。マザーたちは路上で病人を見つけました。
その中の一人の女性が特に重症だったのですが、彼女の体は、虫や蛆に覆われていたのです。
私は愛情のすべてを注ぎ、できる限りの世話をしました。
そしてベッドに寝かせてあげた時、彼女は私の手を取り、美しく微笑んだのです。
こんなに美しい笑顔を、私はそれまでに見たことがありませんでした。
「ありがとうございました」
彼女はそうひとこと言って、静かに息を引き取ったのです。
そんな彼女の死を目の当たりにして、私は自分に問いかけてみました。
「私が彼女だったら、どうだろう?」
私は正直に答えを出してみました。
「人の気をひこうとして、『痛い』とか『お腹が空いた』とか『死にそうだ』
とか言ってしまうかもしれない、、、』
彼女は私に愛をくれました。彼女は、私が彼女にしてあげた何倍ものものを、与えてくれたのです。
私たちのところにいるのは、こういう人々なのです。
この貧しくも美しい人々は、何も私の所にだけいるのではありません。誰の側にも必ずいるはずです。
孤独な人はどこにでもいます。あなたはそのことに気づいているでしょうか?
(マザー・テレサの「愛」という仕事 より
マザーは真実な人でした。その信仰に基づき、貧しい人々の中のいちばん貧しい人々を
愛し続けた生涯でした。
彼女の大きな仕事の一つであった[死を待つ人の家]は、人間のこの世の人生の、
最後(死)の瞬間を、尊厳を持って迎えてほしい(迎えるべきである)、
という彼女の真の愛(信仰)によって始められ、今も後継者たちにより実践されているのです。
それは、現代(科学万能)社会において、すべての人々にとって失われつつある大切なもの
(死の尊厳、真の愛《信仰》)を、示しています。
彼女には多くの寄付(お金や物)や賞金(ノーベル賞・1979年
《自分が受けるのではなく、彼女の言う、貧しく美しい人々が受け取るのなら、
と受賞したのです》等)が入りましたが、それらのすべてを、彼女の愛する貧しい人々
のために使っていました。
彼女は、生涯を通じて、日常的に自分自身のものと呼べるものは、聖書等の他には、
洗濯用の一つのバケツと数枚の身に着けるサリーと素足にはくサンダル等以外
何一つ持っていなかったのです。貧しい人たちの中で、同じように貧しく生き抜いた人でした。
(彼女に従ったシスターやブラザーたちも、同様に、家族も財産も地位も名誉も、
すべてを捨てて、無一物でその生涯を捧げているのです。)(10)
⑦幸せについて
今、この瞬間幸せでいましょう。
それで十分です。
その瞬間、瞬間が、私たちの求めているものすべてであって、他には何もいらないのです。
今、幸せであるようにつとめましょう。
他の人をーあなたより貧しい人々も含めてー愛しているのだということを、
行動によって示すことで、彼らを幸せにすることができるのです。
たくさんのものが必要なわけではありません。
ただ、微笑みかけてあげるだけでいいのです。
だれもが微笑むようになれば、世界はもっと素晴らしい場所になるでしょう。
ですから、笑って、元気を出して、喜びなさい。
神はあなたを愛しているのですから。
マザー・テレサ語る より
インドのコルカタ(カルカッタ)において、マザーは、
無一物の一人の人間としてその行動を起こしました。彼女は、聖なる者として生きることに、
その全生涯を捧げたのです。
その時の彼女の立場(社会的、組織的、環境的)によるありとあらゆる困難を
一つ一つ克服して行きました。それを支えたのは彼女の真の信仰(真の愛)でした。
(12)
⑧死について
マザーは、人間の死について次のように語っています。死はこの世から自分の家に帰る事
と言っています。この言葉はマザーが人間のいのち(霊魂)について、はっきりとその行方を知っていた事を示しています。
死は自分の家に帰ることですが、人は、何が起こるかを恐れて死にたくないものです。
そこには良心の問題もあります。
”もっとよくやるべきだったのに”と。
私たちは生きたように死ぬものです。
死とは人生の続きであり、
また、人生を完成させるだけでなく、体をお返しするに過ぎないのです。
しかし、心と魂はずっと永遠に生き続けます。
死なないのです。
(マザー・テレサ 日々のことば より
ここには、マザーの信仰にもとづいた真理が示されています。体(肉体)を返しても心と魂(霊魂)は永遠に生き続けると言っています。そのまま本人(霊魂)は人生の続きを生き続けると言っているのです。もちろんマザー自身は、その真理は宗教や宗派の違いによって左右されるようなものでは無い事をも知っていたのです。
(15)
⑨微笑
マザーは、ウィトとユーモアに富んだ明るい人でした。そして、彼女とともに働く
シスターたちに、常に微笑みを忘れないように、と話しました。
笑うことなど出来ないような、悲惨な状況であればあるほど、微笑みが必要であると言いました。
それが実践出来ているのは、彼女たちに信仰による喜びの心と真の愛が、
常にともなっているからなのです。
マザー自身でさえも、仲間のシスターに対して微笑みを向けることが難しい時があることを、
認めていました。マザーも人間として様々な感情があっても、何の不思議もありません。
そんな時には、マザーは「そのような時、わたしは祈ります」と言っていました。
(18)
⑩世界を負かすのに爆弾や銃を用いさせないで下さい。
マザーは、人々の幸せと平和を願う人でした。
世界を負かすのに爆弾や銃を用いさせないで下さい。
愛と共感を用いさせて下さい。
平和は微笑みから始まります。
あなたが微笑みたくない人にも1日5回微笑みましょう。
神の光をともして、世の中で、またすべての人々の心の中で、あらゆる憎しみや権力愛を消しましょう。
マザーの言葉に、
貧しい人々はすばらしい(美しい)、という表現があります。
彼女は、富める人々には無いもの(真の自由と幸福)を貧しくも精いっぱい生きる人々の中に
見ていたのです。
日本語には、『少欲知足』という簡潔ですばらしい言葉があります。
また一方では洋の東西を問わず、
『人は持てば持つほど欲しがるもの』というような言葉もあります。
貧しい人の中で最も貧しい者は自由で、幸福です。
この人々にとって、多くのことを常に欲し、望む人々のことは何でもありません。
第三世界の貧しい人は、私たちに、満ち足りるということが、どういうことかを教えてくれます。
これは西欧の人々が忘れているものです。
(マザー・テレサ インドから世界へ より
(24)
⑪許すということ
大切なのは、
どれだけたくさんのことをしたかではなく、
どれだけ心をこめたかです。
人を責めるのは簡単にできます。人を恨むことも、憎むことも簡単にできます。そして、
怒ることも、許さないことも、感情的に人を裁くことも簡単にできます。
しかし、人を許すことは簡単にはできません。特に自分に対して、
また自分の仲間(家族、友人、仲間等)に対して罪(害)をなした人を許すことはとても困難です。
一面においては、人は、気づいているか気づいていないかに関わらず、
何らかの罪(害)を犯さずに生き続けることはできません。
自分が当然の事として行っていることが、人を傷つけているかもしれません。
時には良かれと思うことさえも、人を傷つけているかもしれないのです。
人には、自分が許されなければならない事もあるのです。
困難ではあっても、お互いに許しあわなければ、平和に暮らす事はできません。
マザーは、真に人を愛するためには、人を許すことが必要であると語りました。
人を許すことは、非常に困難で簡単には出来ないことです。彼女は、真に人を愛するためには、
許すことを知らなければならないと言っています。
もしほんとうに愛したいと願うなら、
許すことをしらなければなりません。
マザー・テレサ愛のことば より
(28)
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