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坂村真民の詩(心の薬箱)① ----元気や希望を無くしたら読んでください。 [貧しくても心豊かに暮らす法]

坂村真民の詩(心の薬箱) ----元気や希望を無くしたら読んでください。
130109-詩集「念ずればはなひらく」より

私の家の前に住む人が、坂村真民の大ファンで最近本を私にくれました。
何か心に残る詩がたくさんあるが、その一部を紹介しておきます。
元気や希望を無くしてイヤになっちゃたときに元気になる薬箱みたいなものです。


あるひとに

生まれてこなければよかったと
思われることもありましょうが
どうか思いなおして
人間として生まれたことを感謝し
なんでもいいから
自分でできることをして
生きてください
十七文字の俳句を
作るのもいいです
いっしょうけんめい考えたら
神からの授かりものが
何かあるはずです
信仰と希望と愛
そんなことを
じっと考えてください
光が射してきます
力が生まれてきます
暗かったこころのカーテンを
明るいカーテンにして
あなたの心に
灯りをともしてください




あの時のこと

あの時のことを
お互い忘れまい
ふたりが
固く誓いあった時のことを
ふかく喜びあった時のことを

思いあがった時は
いつも思い出そう
初めて母となった
あの嬉し涙を
お互い
古くなってゆく袋に
新しいものを入れなおそう

おのれを失った時は
いつも語り合おう
慰めあい
苦しみあい
二人で過ごしてきた
数々の日のことを

「降りてゆく生き方」映画をみて [豊かさとは、幸福とはなにか]

「降りてゆく生き方」映画を見て
130106

昨日八王子で開かれた自主上映の話題の映画「降りゆく生き方」を見た。
数回見てもいつも感動して涙が止まらなかったとかのコメントが主催者から初めにあったが。
正直見終わってまったく感動はなく、臭くて、やらせの田舎芝居のような内容で、映画としてのレベルは最近見たうちでは最低であった。決してボランティアで出演されている人たちを否定するものではありませんが、もう少し中身のある内容で有ってほしかった。
しかし、驚くのは、2009年公開されてからロングランが続いていること、八王子の会場も満員で若い人や身体障害者らしき人が多かった印象でした。社会運動的な動きになっているのか、何なのか疑問がおきた。
ネットでコメントを拾ってみると以下のようなコメントもあったので引用しておく。
このコメントは理解できるし、映画が社会運動のようになってきているのは、特に企業や社会での激しい競争に疲れ果てた人や、病気や社会の底辺にいる人たちの気持ちを代弁しているからかもしれない。
降りる考えも大切だが、激しい競争に勝つ抜くことも全面否定では困る、バランスの取れた生き方が必要とされよう。


 先日 武田鉄矢さんが主演している「降りてゆく生き方」という映画を見ました。この映画は普通の街の映画館で上映されず、又 DVDにもならないものだということでした。
 そのとおり自主上映という形で倉敷法人会の主催でしたが、会員がチケットを一枚一枚売りさばき、映画会場も真備町の公的な施設で、まさに手づくりの上映会でした。

 内容は武田鉄矢ふんするモーレツサラリーマンが、自然豊かな農村を開発し 外資に売ろうと企て農民の中に入ってゆくのですが、ゆけばゆくほど農村の豊かさ農民の温かさにふれ、最期は自ら会社を辞め農村や農民を守る側につくというものです。

 戦前の日本と戦後の日本、大きく変りました。大家族制から核家族へ。生産共同体から消費共同体へ。もったいないから大量消費の浪費社会へ。家族は家族で看るという自助社会から、何でも国に頼り、何でも国をあてにする社会へ。

 大きな政府、大きな財政、大きな経済、大きな投資、大きな消費、大きな財布、大きな家、大きな車・・・ すべて大きさを求めてゆくようになりました。その結果 物質的には豊かで物があふれる日本になりました。まさに右肩上りが当り前、拡大再生産社会、バブル経済と昇りゆく時代となったのでした。しかしバブルが崩壊し、この右肩上り神話が疑問視され、それからデフレ社会が20年。そして決定的なリーマンショックにより、今の繁栄今の豊かさは砂上の楼閣であり、なんら裏付けのない虚構幻想であったことがはっきりしてきました。

 金融工学という訳のわからない計算上の豊かさ 繁栄であり、一たび夢から覚めてみると うすら寒い時代が到来していたのでした。
 この寒さは人としての本質的な豊かさを放棄し捨て去った 故の寒さです。人としての思いやり、温かさを捨て非情に物や余りを追い求めた故の寒さです。
 結局人はモノやお金では温かくならないことが解ったのです。いや、モノやお金は人を温めるものではないことが分かってきました。

 豊かになった自らの周りをながめ、自らが裸で寒風にさらされていることを、今 我々は一人一人 氣付くべきです。

 昇り来た山頂で凍え死ぬのか、それとも山を下り 山を降りて、もう一度 自らを温めるのか(富士山のふもとは真夏でも、富士山の頂上は0℃以下です)。
 降りてゆく人生、降りてゆく生き方。今こそ必要な生き方です。(これ以上 昇る山もないし、頂上に居れば凍えてしまうわけですから。)
 
 日本人がお腹いっぱい食べる時代はここ50年です。戦前までずっとほとんどの日本人は腹ペコの生活でした。太古から縄文 弥生~平安~江戸~ずっと一日二食、一汁一菜。お米ではなくアワやヒエなどを食べ、土日もなく朝から晩まで働いていたのです。栄養がどうの、働きすぎがどうの、それ以前のところで精一杯生きていたのです。

 昭和、平成のここ50年です。テレビやコンビニなどで、真夜中でも何不自由なく昼間と同じ生活ができるのは。何千年も何万年も日本人は太陽が出れば起きて、太陽が沈めば家族だんらんの時を持ち床に就く生活を行なっていたのです。

 もう一度昇ること、拡大すること、貯めること、将来に不安を持つことをやめ、降りてゆくこと、縮小すること、捨てること活かし生かすこと、今 ここをしっかり感謝して生き抜いてゆく生活になってゆきませんか。  足るを知り、感謝に満ち満ちた生活。物に固執せず 人に固執する生活。家族、家を大切に他人を思いやる生活。足りないところ、足りない物を補い合う生活。余っている物を人に分け与え合う生活。

 こんな「降りてゆく生き方」をする時代なのかもしれません。
 山登りは山へ登るだけでは山登りになりません。山を下って降りてこその山登りです。人生が山を登るようなものならば、当然 降りることも人生そのものです。

 私もこの「降りてゆく生き方」を上映したく申し込んでいます。来年 創業記念日  6月1日 上映し、皆さんと見る事を楽しみにしています。


 代表社員 前原 幸夫

地球誕生から現在までの46億年の歴史を1年暦で見てみる [厳しい現実]

地球誕生から現在までの46億年の歴史を1年暦で見てみる
1年365日の暦見てみました。
我々はどこからきたのか。我々は何者なのか。我々はどこへいくのか。
1年の初めあたって地球の暦から見ると、ほんの瞬間しか生きない私たちの人生、
最後は人類滅亡のシナリオ、みんな仲良くやろうぜ。

1月 1日   46億年前
午前0時地球誕生 ガス状の原始太陽系星雲の中で固体粒子が集まって無数の微惑星となり、それらが合体と衝突を繰り返しながら原始地球となる

1月12日   45億年前  原始地球に天体が衝突、地球と月がわかれる

2月9日    41億年前    地殻が固まり 陸と海が生まれる

2月17日   40億年前   生命のもとになるたんぱく質や核酸が生まれる

2月25日   39億年前   最初の原始生命誕生

3月29日  35億年前    光からエネルギーを得るバクテリア登場

5月31日  27億年前 
この前後から地球に強い磁場が出来、宇宙から降り注ぐ有害な粒子をさえぎるようになる
光合成を行うシアノバクテリア(ラン藻)が登場し、コロニーを作って酸素の放出を始める

6月8日  26億年前    火山活動で大陸がうまれる

7月10日  22億年前   細胞に核を持つ新核生物の誕生

7月18日  21億年前  大気中の酸素が増え始める

8月3日  19億年前   最初の超大陸「ヌーナ」が誕生し分裂はじめる

9月29日  12億年前  多細胞生物誕生

11月6日  7億年前  地球全体が温暖化と寒冷化を繰り返す


11月13日  6億年前   温暖化しオゾン層が形成され有害な紫外線防ぐ。大型多細胞生物の誕生


11月18日  5億年前 カンブリア紀動物出現、多様化、魚類の出現

11月27日 4億年前  
午前4時ごろ、生物の大量絶滅が起こる
浅い海や河口付近に藻類が進出し、湿地にコケ植物が進出する

11月28日    植物が陸へ上がる 節足動物が陸へ上がる
   29日   魚類から両生類が分かれて陸へ上がる

12月3日   3億年前  大森林が広がる。両生類から爬虫類が分化する

12月5日   3億年前 このころから気温が低下して氷河期に入る。爬虫類の多様化

12月10日         氷河期が収まる

12月12日  2億年前  
海洋全体が極端な酸欠状態となる
午前2時ごろ、史上最大規模の生物大量絶滅

12月13日        恐竜時代始まる
最古の哺乳類とされるアデロバシレウス登場。尻尾の短いネズミのような体型で、体長10-15センチほどだった。


12月15日  2億年前  超大陸「パンゲア」が分裂を始める正午ごろ、生物の大量絶滅が起こる
 

12月18日  2億年前   超大陸「パンゲア」が北と南に分かれる
鳥類の出現

超大陸「パンゲア」から分かれた北と南それぞれの大陸がさらに分裂していく


12月24日 1億年前    このころ地球全体が温暖化
12月25日    恐竜が全盛期を謳歌する
12月26日     午後8時17分ごろ巨大隕石が地球に激突して恐竜が絶滅 ほかの生物も大量絶滅
            生き延びた哺乳類の中からリスに似た原始霊長類が登場
12月27日      哺乳類の繁栄が進む

12月29日      午前6時ごろ類人猿の祖先となる狭鼻猿が登場

12月31日      午前10時40分、類人猿から分かれた最初の猿人であるトゥーマイ猿人が登場
            午後11時37分、現生人類(新人=ホモ・サピエンス)誕生

12月31日の詳細

午前10時40分       類人猿から分かれた最初の猿人、トゥーマイ猿人が登場(700万年前)
午後3時39分         アルディピテクス属と呼ばれる猿人の一種、ラミダス猿人が登場、直立二足歩行を                する(440万年前)
午後7時15分        ガルヒ猿人登場、簡単な石器を使い始める(250万年前)
午後7時26分         最初の原人ホモ・ハビリス登場、石器を使いこなす(240万年前)
午後8時35分         新たな原人ホモ・エレクトス登場、火を使い始める(180万年前)
午後8時40分         氷河時代に入り(175万年前)、これ以降は氷期と間氷期が繰り返されていく
午後11時3分         ネアンデルタール人などの旧人登場(50万年前)
午後11時37分        ホモ・エレクトスの一部がアフリカで進化して現生人類                                  (新人=ホモ・サピエンス)が誕生(20万年前)
午後11時58分52秒     農耕牧畜が始まる(1万年前)
午後11時59分46秒     キリスト降誕
午後11時59分56秒     ルネッサンス
午後11時59分58秒     産業革命
午後11時59分59秒      20世紀が始まり終わる


未来の予測

1月 1日 午前0時0分30~40秒(ほぼ数千年後)ごろ、環境破壊と氷河期の到来により人類滅亡?
午前10時(約500万年後)には氷河期のピークを迎え、地球のほとんどが凍りつく? 過酷な環境に適応して進化していく生物も少なくない?


原発をとるか便利な生活をとるか覚悟を求めるー倉本總ーNHKラジオ深夜便ーこころの時代 [豊かさとは、幸福とはなにか]

原発をとるか便利な生活をとるか覚悟を求めるー倉本ーNHKラジオ深夜便ーこころの時代

121213ラジオ深夜便よりーNHK深夜便ストリーミングで無料で聞くことができます。
http://www.nhk.or.jp/shinyabin/jyoyou.html


原発なくして不便な生活に戻れるか、原発と共存して今の便利さを求めるのか、倉本總さんが講演会でどちらを選ぶのか、挙手で聞いてみたところ、若者の70%は今の生活を続けたいとの意見であったそうだ。
一度味わった、甘い蜜は失いたくないということでしょうか。昔を知らないということもあるでしょうか。
他方、中高年の聴衆は70%は昔に戻りたいという意見でした。

今の日本人個人が使っているエネルギーを3/5にすると1970年代(3丁目の夕日の時代)の昭和にもどれる。
このエネルギーレベルは今の一般の先進国のレベルでもあるそうだ。
日本は無駄にエネルギーを使いすぎて便利すぎる。3m歩けばよいのにリモコンを使う必要があるでしょうか。

はじめ人類は人力と動物の力をエネルギーとして使っていた。産業革命(17世紀)がはじまり化石燃料の利用が始まり、石炭、石油、原子力へと変遷していく。
もともと石油の埋蔵量は2兆バーレルと言われていた。
そのうち1.2兆バーレルが既に使われた。
2兆バーレルというとすごく大きく思われるが、富士山の山頂の3合目までの容量に過ぎない。
そんなに大量ではないのだ。
これから生きていくには覚悟がいる。
原発事故覚悟で成長経済を求め便利な暮らしを求めるか。
昔の不便な暮らしに戻っても、安心で幸せな暮らしを求めるのか。
腹を決める覚悟がいる。

ぼちぼち私も高齢で死期が近かづいてきている。
死ぬときは楽に死にたい。いつ死んでもいいが、苦しむのは嫌だ。
死は本人が悩み苦しむもので、残された家族はどうでもよい。

縄文人の平均寿命は14歳 [高齢者データ]

縄文人の平均寿命は14歳
「たけしの万物創世記」番組制作スタッフ編、幻冬舎、1998、P43
 人の寿命は、時代が進むごとに延びてきました。
 縄文時代、日本人の平均寿命は推定で一四・六歳。病気、事故、飢えなどで、幼児のうちに命を落とすものが多かったのです。もちろん、一方では少数ながら長命な者もいました。現代科学が割り出した一二○歳という命は、このころから現在まで変わっていないのです。
 江戸時代になると、平均寿命は二0・三歳。社会構造がピラミッド型になるにつれて、裕福な者の中に長命な者が増えました。たとえば徳川の一五代の将軍の平均寿命は五0・四六歳と、庶民よりはるかに長かったのです。
 大正時代の平均寿命は、男性四二・0六歳、女性四三・二0歳。終戦直後の一九四七(昭和22)年は、男性五0・0六歳、女性五三・九六歳。そして現在の日本は、男性七七・0一歳、女性八三・五九歳という、世界一の長寿国になりました。長い年月を経て、人類は野生の世界ではありえない「老化」という時問を獲得したのです。
平均寿命の推移  縄文時代 江戸時代 大正時代 終戦直後1947 現在1996 男 14.6   20.3   42.06   50.06     77.01 女 14.6   20.3   43.20   53.96     83.59 完本「食からみた日本史」高木和男、芽ばえ社にも詳細データあり。P37
寿命
 縄文人の寿命については小林和正氏が出土した骨から年齢の推定を行っている。小林氏によれば、15歳時の推定余命は男女とも16年余であった。測定された骨は、縄文前期から後期にわたる男子133体、女子102体であった。また山内清男氏も縄文人の寿命についてほとんど同様の推定を下している。
 以上のことでわかるように、縄文人の寿命は短いものであった。成人に達した者でも40歳に達し得た者は少なかったのである。
 ともかくも縄文人は、次第に自らの文化水準を向土させ、人口を増やしながら本州、四国、九州の3島に広く分布していった。しかし東北地方だけはしばらくの間、アイヌの勢力下にあったと考えられる。
 氷河期が終って、今から約1万年前をピークとする海進(気候温暖のため海水の量が増加して、海水面は上昇し最盛期には今の水準よリ10-20mは高かったといわれる)の時代になって大陸から孤立した縄文人とアイヌは、大陸からの大量の民族の移動に脅かされることもなく平和に暮していたのてある。この点が大陸の民族と大いに違うところである。大陸では洋の東西を問わず民族の大移動に脅がされ、各民族の興亡が続いていた。ギリシャやローマ、北欧の歴史がそうであり、中国の歴史がまたそうであった。こうした中で島国日本のみは長く安泰であった。
11)小林和正著「出土人骨による日本縄文時代人の寿命の推定」『人口問題研究』No102(4)1967年刊
12)山内清男著『石器時代人の寿命』ミネルヴァ書房1966年刊

笑いは病気を治すー「笑いと治癒力」ノーマン・カズンズ [元気でハッピーになる秘訣]

「笑いと治癒力」ノーマン・カズンズ
121116

心の持ち方で幸せになる方法を研究しています。
日常生活であまり笑いころげることはないのですが、できるだけ、月に1回は新宿末広亭で落語を聞いて笑うことにしています。大笑いすると何かすっきり爽やかになって、元気になるのは確かです。
入れ替わり落語家が馬鹿な話をするわけですから、非日常の体験です。お客さんも怒っている人はいません。
寄席はその意味で平和な空間です。
哲学者カントもこんなことを言っています。
心の持ち方で病気も治るということでしょうか。

カントは『純粋理性批判』で笑いについて次のように書いています。「大声での笑いは、もっとも重要な肉体の過程を促進することによって、健康観、すなわち腸と横隔膜とを動かす情感、つまりわれわれの感じる満足の内容を成す健康観を生み出し、われわれはそれによって、精神を通じて肉体に到達し、精神を肉体の医師として使用することができる」


ノーマン・カズンズの不治の病からの生還事例
ノーマン・カズンズは、不治の病と言われた膠原病から、ビタミンCと「笑い」を武器に、五百分の一という奇跡的な回復をした人です。有名な書評誌『サタデー・レビュー』の編集長であり、核兵器廃止運動、環境汚染反対運動、世界連邦運動の指導的活動家でもあります。1956年に広島の「原爆乙女」25人をアメリカに招き、整形外科手術をうけさせたことで日本人に知られるようになりました。
この『笑いと治癒力』は、初めには『死の淵からの生還』と題して出版された、彼の膠原病克服の記録であり、人間の自己治癒力に対する鋭い考察の書でもあります。ビタミンCの治療効果とその根拠が明確に述べられています。
ビタミンCは、免疫作用と自己治癒力を働かせるために必須の構成要素であるという事実。しかし、人類とある種のほ乳類だけが、体内でビタミンCを製造できず、貯蔵もできない。彼はビタミンCを直接静脈に送り込むことを計画します。しかもその量は25グラムという大量投与です。主治医のヒッツィグ博士は驚きながらも同意しますが、血沈量の劇的な減少という形で、効果が顕著に表れます。これらが闘病過程が説得力を持って書かれています。
同時に腹を抱えて笑えるようなテレビ番組を看護婦に映写してもらい、看護婦が集めてきたユーモアの本を読むことを続けます。「笑い」は膠原病特有の痛みを和らげることを発見します。カントは『純粋理性批判』で笑いについて次のように書いています。「大声での笑いは、もっとも重要な肉体の過程を促進することによって、健康観、すなわち腸と横隔膜とを動かす情感、つまりわれわれの感じる満足の内容を成す健康観を生み出し、われわれはそれによって、精神を通じて肉体に到達し、精神を肉体の医師として使用することができる」。
「笑い」が身体の治癒力に働きかけて癌を初めとした病気の回復に有効であるということを多くの人が述べています。書籍を検索しても、『笑いの医力』『笑いの免疫学』『笑いの健康学』『笑顔がクスリ』など、たくさんあります。
「薬の歴史はプラシーボの歴史である」ジョージ・ワシントンが瀉血のせいで死亡したように、当時は病気になれば体から血を抜くことが、もっとも効果的だと専門的にも信じられていたように、そして一定の効果があったように、医者や医学界が間違った知識に基づいて治療に当たっていたにも関わらず、患者は回復していたのです。医学の発達していない時代にさえ、祈祷師やまじないだけで多くの病気が治っていたのは、プラシーボ効果によるものだと考えられます。
生への意欲と創造力は、脳内インパルスを発生して下垂体を刺激し、松果体などの内分泌系へ影響することが科学的にも明らかになっています。一粒の「丸薬」がプラシーボ効果を引き起こすことができるのなら、「丸薬」という「使者」がいなくてもプラシーボ効果を起こすことが可能になるのではないかと彼は言います。
生への意欲と創造力を旺盛に持っていた二人の人物、パブロ・カザルスとアルバート・シュバイツァーを挙げます。腫れ上がって曲がったカザルスの指が、ブラームスの「弦楽四重奏曲変ロ長調」を奏でだしたとたんに、指がすっと伸び、背筋がまっすぐになって、驚異的な動きを始めるのです。
この本で彼が言いたかったことは、『患者の責任』ということです。病気に対して人体は「治る能力=自己治癒力」を持っている。それを信じて正への意欲を持ち続けなければならないということ。「ビタミンCと笑い」は、一つの選択肢であり、彼もビタミンCが全ての病気を治すなどとは言っていません。笑っていれば医者の治療などは必要ないとも言っていません。しかし、「笑い」すなわち精神が肉体に影響を及ぼしうることがあるということは、今日では医学界でも認められるようになってきました。彼が治ったのはプラシーボ効果なのかもしれません。しかし、プラシーボ効果で治って、どうしていけないのでしょうかと問いかけます。人類は長い間、心のありようが病気を治すことができるということを信じてきたし、実際に治療効果があったのです。むしろ医学が「治してきた」と信じている大部分はプラシーボ効果なのかもしれません。世界で大量に飲まれているアスピリンでさえ、その効用の原因は分かっていないのですから。
カズンズは膠原病から奇跡的に回復し、また編集長の仕事に戻るのですが、今度は心臓発作を起こして入院します。手術を拒否して身体の再生力を信じて再び勝利します。『続 笑いと治癒力』にはその闘いが紹介されています。
カズンズの大きな過ち
二度の重篤な病気から回復したカズンズですが、彼は大きな過ちを犯しているように、私には思われます。彼は最初の心臓発作から10年後の1990年に、重症の心臓発作で死亡します。76歳でした。最初の心臓発作を起こしたとき、彼はその原因として「分刻みで、忙しく飛行機で全国を飛び歩いていた。ポーターの利用できない状態で重い荷物、長い搭乗手続き、これらが心臓発作の原因だろう」と分析していました。膠原病から回復した後もそのような生活を続け、心臓発作を自己治癒力で克服した後も、病気になる前と同じような生活を続けたのです。「患者の責任」は、第一に病気になった原因を遠ざけることです。病気は自分自身が作ったのですから、回復した後にも同じ生活を続けるということをすべきではなかったのです。心臓発作で死なないためには生活を180度転換すべきでした。これがカズンズが犯した過ちでしょう。
しかし、カズンズの名誉のために書いておきますが、彼は、「今や各人の健康(次の世代の健康も含めて)に対して、病気の克服が決定要因ではなく、むしろ社会が健康であるのかどうか、諸国家の病気が治癒するのかしないのかの方が大きな要因ではないか」と記しています。その言葉通りに平和運動、核兵器廃止運動に積極的に関わっていきます。1987年には広島での谷本清平和賞を受賞するために婦人とともに来日しています。彼にとって、忙しさが命取りになることは分かっていたのでしょう。しかし、「生きのびた者の責任」として「諸国家の病気の治癒」に関心を持たざるをえなかった。
癌になったのだから、これまでの生活態度は改めなければなりません。どうでも良いような会議や付き合い、義理で参加する結婚式や葬儀、そうしたものからは遠ざかりましょう。その時間を自分自身の治癒と幸福のために使いましょう。しかし、ではただ生きているだけで人間は満足できるのだろうか。社会との関わりを一切断つことが、幾ばくかの命を長らえることができたとしても、それが自分にとって満たされた人生だと言えるのだろうか。これはもう個人の世界観、価値判断の問題でしょう。
ただ自分自身の満足できる時間のみに生きる。これもまた正しい人生。たとえ命を縮めることになろうとも、家族のために、会社のために、あるいは社会的に有意義だといわれるような生き方をしたい。これもまた正しい生き方です。

向田邦子が考える幸福とはnk120927 [豊かさとは、幸福とはなにか]

向田邦子が考える幸福とは

向田邦子は「幸福」という本を書きたいと言ったのは、乳がんで余命を宣告された後だという。
「幸福」という本で繰り返し言ったのは
素顔の幸福は、思いがけない片隅に転がっています。 屑ダイヤより小さいそれに気づいて掌にすくいあげることができる人を幸福な人という。
幸せな人になる秘訣が短い文章の中に簡潔に表現されている。
メーテルリンクの青い鳥にも同じような表現がある。幸せのシンボルである青い鳥を探しに二人の兄弟が旅に出るが結局その青い鳥は家の中の鳥かごの中いという話。
幸福はどこか外にあるものではなくもっと身近な心の中にある。
世の中にあふれる沢山のものやお金、地位や名誉を手に入れるのが幸福ではありません。
心の中に抱く感謝の気持ちそれが幸福の源。
お金さえ出せばほしいものは何でも手に入る豊かな現代。欲望のままに生きることに慣れてしまい、恵まれた環境を当たり前と思い、謙虚な気持ちや、感謝を忘れていないでしょうか。
「幸福とは生きていることを感謝する気持ちから生まれる」と日野原重明先生(100歳)は言っています。

飽食の時代に心まで飽きていませんでしょうか。

今後50年で世界経済のパワーバランスは劇的に変わる(OECDレポート) [厳しい現実]

今後50年(2060年)で世界経済のパワーバランスは劇的に変わる
2012/11/9
ロンドン時事】経済協力開発機構(OECD)は9日、2060年の世界経済に関する超長期予測を発表した。 それによると、日本経済が世界経済に占める割合は11年の6.7%から3.2%に低下、日本は「経済小国」に転落するとの見通しが示された。 一方で中国(来年)とインド(数年うち)はいずれも米国をしのぎ、インドは来年日本を抜き、世界の2大国としての地位を固めるとした。 予測は、05年の購買力平価をベースに世界の総生産(GDP)に占める割合を試算。 60年までの日本経済の平均成長率を1.3%、米国が2.1%、中国が4.0%、世界の平均成長率を2.9%などと仮定し算出した。2060年の世界のGDPに占める割合は中国が28%、インドは18% 、米国は16%、ユーロは9%と予測される。中国、インドで約半分占める。ほかのアジア諸国も大きく成長し、世界の勢力図はアジア中心になる。
   年代  2011--2030--2060(GDPに占める割合)
  日本      7--   4ーー   3
  US      23     18     17
  中国     17     28     28
  インド      7     11     18
  ユーロ    17     12      9   


以下詳細
最新のOECD報告書によると、今後50年、躍進を遂げる新興経済が世界のGDPの大部分を占めることとなり、世界経済のパワーバランスは劇的に変わることが予測されます。
これまで私たちが慣れ親しんだパターンとは異なる長期的経済成長を辿ることで、各国経済の世界に占める割合は大きく変化することになります。現在トップに君臨する米国は、早くて2016年にも中国に追い超され、いずれはインドにも追い越されるでしょう。さらに中国とインドを合わせれば、まもなくG7全体の経済力をも追い超し、2060年にはOECD加盟国全体を追い越すことが予測できます。急速な高齢化が進むユーロ圏や日本といった現在の経済大国は、若年層が人口を占める新興経済のインドネシアやブラジルのGDPに圧倒されることになります(グラフ参照)。
"Looking to 2060: Long-term global growth prospects(2060年までの長期経済成長見通し)"は、OECD加盟34カ国及び非加盟の主要経済8カ国を対象とした新しい長期経済見通しを提示しています。同報告書は、加速する成長を続ける新興国と、それに反して減速していく先進国との差は拡大するとしつつも、世界全体としては年率3%の経済成長を予測しています。各国の一人当たりGDPの差異は主に技術レベルや資本集約度、人的資源やスキルにおける違いを反映するものとなります。
アンヘル・グリアOECD事務総長は、「世界経済は、過去5年間経験してきた経済危機をやがて克服するが、私たちの子孫が暮らす将来はこれまでとは全く異なったものになるだろう。現在急成長しているる新興経済国が世界経済の重きをなすこととなるため、私たちは世界全体の持続可能な繁栄を確保するために新たな挑戦に立ち向かうことになる。教育と生産性は今後の経済成長に向けた牽引力となるため、世界全体でこれらの分野の政策が優先されるべきである。」と述べました。

長期的な経済パワーバランスの移行は、各国の生活水準の向上にもつながるため、2060年までに貧困国は4倍以上の所得増大が期待できます。中国及びインドに関しては、所得は7倍も増加することが予測されます。これにより、2060年までに新興国と先進国の現在の経済格差は狭まる一方、各国間の格差は依然として残ることになります。
グリア事務総長は「この見通しは動かしがたいものではない。大胆な構造改革を講じれば、先進国でも新興国でも長期的な経済成長及び生活水準の向上を導き出すことが出来る。」と述べました。
OECDの調査は、労働・生産市場の広範な改革を進めれば、今後50年間に世界全体で平均16%の生活水準の向上が期待できると示しています。
「2060年までの長期経済成長見通し」の詳細情報についてはこちらをご覧ください。
プレスリリースを見るhttp://www.oecd.org/newsroom/balanceofeconomicpowerwillshiftdramaticallyoverthenext50yearssaysoecd.htm
全文を見る

働きたい高齢者急増(報道ステーション121003)より [日本を元気にする]

働きたい高齢者急増(報道ステーション121003)

テレビ朝日(121106まとめ)
働きたい高齢者急増している。現役世代との共存がカギではあるが、人生90年時代
4人に1人が65歳以上である。いつ壊れるかわからない年金の問題もあるが、元気なうちは働きたい高齢者が多いが、仕事が見つからないのが現状だ。

働けるケーススタデー(事例①)
高齢者専門の人材派遣会社「海援隊本部」を事例として紹介している。
ここでは高齢者による介護の仕事のあっせんをしている。
みんなで視覚障害者の歩行介助の訓練をしている場面が紹介される。
登録者は140名
平均年齢65歳
Aさんの場合―――介護福祉士で週3日働いて7万円の収入。個人では仕事はなかったが会社に登録して就業した。

若い人の半分は働けるーーハーフワークと呼ばれている。
タイムシェアなど高齢者向きの働き方があるようだ。

いつまで働きたいか(内閣府2008年調査)
① 働けるうちはいつまでも   36%
② 70歳まで          23%
③ 65歳まで          19%
④ 60歳まで          10%
⑤ 75歳まで           9%
⑥ 76歳以上           2%
65歳以上働けるうちは働きたいが大半を占めた。元気なうちはズーーと働けばボケないし。

働けるケーススタデー(事例②)
定年制度をなくす(西武信用金庫)
定年制度をなくし、店長の定年制度を廃止している銀行がある。
定年をなくして長年培った顧客との人脈を生かして成果を上げている。
60歳になったからと言って能力が下がるわけではない。
若者に対する配慮もしている。
32歳で店長に抜擢などバランスを取った配慮がいる。

政府は段階的に65歳まで雇用義務を引き上げる。完了は2025年だ。
今後若者が減り、労働人口は大きく減少する。退職者が働けば、収入が増えるので、地域経済も活性化する。

米国ではお金を貯めて早く仕事を辞めて人生楽しみたいという考えが強い。
欧州、特に北欧では年金は安定しているしそこそこできる仕事を国が紹介しているようで、理想的だ。
日本でははたくのが趣味みたいな考えの人が多い。
人の役に立つのは生きがいでもあるし、健康にも良い。
健康で元気なうちは働けるのが一番、誰でもはたきたい人が働ける環境づくりが望まれる。

新幸福論-五木寛之―青い鳥が去ったあと(要約) [豊かさとは、幸福とはなにか]

新幸福論-五木寛之―青い鳥が去ったあと(ポプラ社)(120920)

著書の要約を以下に記載します。五木氏の悲観論があちこち見れるが、今の時代の幸福論としては、参考になるところもあると思う。

みんな幸福になりたいと思っているが、そこそこ幸せを感じながらも明日に不安を感じ、絵にかいたような幸福のイメージが持てない。
戦後の復興期や高度成長期には具体的な幸福の見取図がありました。
アメリカでありヨーロッパでした。
最近ブータンが世界で最も幸福の国と言われ、GNP(国民総生産)の概念からGNH(国民総幸福度)で国の豊かさを評価するとあたらしい動きが起きています。ブータンでは輪廻転生が信じられ、蚊や虫も殺さないという。
他人の不幸は蜜の味という言葉もある。
江戸の歌人、橘曙覧(たちばなのあけみ)はつつましい生活の中で
「たのしみはまれに魚烹(うおにて)て児等(こら)皆がうましうましといひて食ふ時」
と自然がもたらすしあわせを歌っている。
ブータンの人たちのように自然な考え方は宮沢賢治の中にある。
「草木国土悉皆[しっかい]成仏」
草や木も虫も魚もすべてこの世に存在するものには命があり、心がある。石や水や星や土にも命がある。
この世に存在するものはみな兄弟と感じて一生生きた賢治。(よだかの星)
少年時代から山や空や海岸などと言葉にならない会話をしていたらしい。

「メーテルリンクの青い鳥」
幸せの青い鳥をさがしにチルチルとミチルは旅に出たが青い鳥は見つからなかった。
家に帰って二人でこの世に青い鳥はいないんだと話していると突然家で飼っていたキジバトがみるみる青い鳥に変身した。
「僕たちはずいぶん長い間あちこち旅して探し回ったけど、青い鳥はここにいたんじゃないか」青い鳥を隣に住む足の不自由な娘に持たせるとたちまち足が治った。
童話はここまでだが、小説では青い鳥はまもなく飛び去ってしまう。
幸せはつかむと消えてしまうものであることを考えさせられます。

ショーペンハウエルはドイツの哲学者ですが「われわれの幸福の9割まではもっぱら健康に基づいている。
健康であることは幸福である条件の一つ。

アランの幸福論
「体と、体の働きですべてが決まるのだ。もっぱら食事押し方や、歩き方、本の読み方、天気の具合で人の心は変化する」
体が人間の心を左右するように人の心のありようが体調を変える」
ほほえむまねをするだけで、心が穏やかになり温まりまわりの人に作用する。

アメリカの心理学者ハワードフリーマンは「長寿と性格の中」で「勤勉で目標に向かい努力し生涯現役で地域社会といみあるつながりを持つ人が長寿」
親鸞は90歳まで生きた。親鸞はなくなる寸前まで働いたそうだ。
貝原益軒は85歳まで生きた。

長寿イコール幸福でない時代の到来。
高齢化社会の中で買って平均寿命であった。50歳からエイジング(耳が遠くなったり、認知になったり、癌にかかったり)に耐えながら、40年間生きなければなりません。
ブッダがなくなったのは80歳ですが当時は長寿は稀有であったが、みんなが長寿になると長寿地獄が起きかねません。

フランクルがアウシュビッツの生活を描いた「夜と霧」の中で夕焼けの美しさでを得る生きる力を得るくだりがある。
コーヒー一杯で生きる喜びを感じることがある。
幸福とはそんな一瞬かもしれない。
私たちは日常で自分の好きなこと、すごく気持ちがいいとか自分が幸福感を感じることをもっと大事にしなければならない。
小さな幸福感が幸せを創る。
幸福のイメージは、時代とともに変わります。世代によってもちがう。男性と女性、民族、職業によっても異なります。
百万人の人間がいれば、百万通りのちがう幸福がある。それを承知で、あえて幸福について正直な感想をのべてみました。わかっていることは、いま新しい幸福観が生まれつつあ¬る、ということです。」

金子みすゞ、宮沢賢治、青い鳥(メーテルリンク)、星の王子さま(サン=テグジュペリ)、かもめのジョナサン(リチャード・バック)、夜と霧(ヴィクトール・E・フランク¬ル)......。
 永く愛される作家や作品にふれながら、明日が見えない時代の幸福とは何なのか、不安に満ちた日々のなかでどう 見つければいいのかを、著者が手さぐりのなかで書き綴る。

Aさんのコメント――引用
「~青い鳥の去ったあと~」
いくつかの著名な寓話を五木さんなりに考察しながら、
これからの幸福について綴ったエッセイ。
特にメーテルリンクの『青い鳥』考察では、
五木さんならではの悲観主義が根底に伺えます。
子供向け絵本では、チルチル、ミチルが青い鳥を探す旅
の最後に自宅で青い鳥を見つけたところで終わるものの、
本物のメーテルリンクの物語では、
最後に見つけた青い鳥がチルチルミチルの元から
飛び去ってしまうという残酷な話だと強調されます。
つまり、幸せとは自分の足元にあるのではなく、
簡単に消えてなくなるものだという解説。
『青い鳥』はそんな残酷な物語なのだと主張されます。
五木さんのこの読み方は面白いとは思います。
ただ、そこまで寂しい見方までしなくてもいいのではないかと
つい反論したくなってしまいました。
最後に青い鳥が飛び去ったということは、
足元にある幸せに気づくと、また次なる幸せを求める旅が始まる。
つまり、幸せを求めるプロセスこそが幸せそのもの。
ブランド品や車、マンションといった物質的欲求、
恋愛・結婚・出産や受験合格、昇進・昇格といった精神的欲求。
手に入れるまでは枯渇感や焦燥感を感じたりするものですが、
いざ手に入れると入手前ほどの熱はなくなってしまうということなのではないかと思います。
ハーバード元学長のデレック・ボックさんも著書『幸福の研究』 の中で、
「経済的に成功した人は、高まった幸福がつかの間で終わることが多い」
なぜなら
 「高所得がもたらす特別の所有物に人々は慣れてしまう。
 結局、贅沢品は必需品に変わって願望が大きくなり、
 以前よりも生活に満足できなくなる」からと指摘しています。
作者のメーテルリンク自身が何を伝えたかったのかわかりませんが、
私は五木さんと異なり、
幸せ探しは自分探しと同じで、結果よりプロセスにこそ意味がある。
つまり、どんな人生であっても今を生きていることが幸せなのだ
と解釈します。
事実は一つ。でも解釈は多様。
だから人間は面白いのですね。

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